君を追い詰める影の続き
「これはアンタが招いたんだよ、破天荒サン」
目の前でニヒルな笑みを浮かべてそう言うヘッポコ丸。…とよく似た風貌の少年。
長く伸びた銀髪、そこから伸びるツノ、覗く牙、長い爪、そしてゆらゆらと揺れる尻尾。
顔付きはヘッポコ丸とよく似ている…しかし、明らかに別の人間であることは確かだ。
ヘッポコ丸は――その少年の隣で静かに横たわっているからだ。
「お前…お前がこんな真似をしたのか…?」
「そうだよ。最高の展覧会だろ?」
悪びれた様子もなくそう言う少年――邪王。その長く伸びた爪に付着した血を舐めて、破天荒を挑発する。
悔しそうに奥歯を噛み締める破天荒の足元には、仲間たちが転がっている。―――血で彩られ、首を切断され、顔を破壊され、手足をもがれ、原型を留められていない『死体』という姿で。
仲間たちをこうも無惨に殺してみせた犯人が――今目の前にいる、邪王なのだ。
「案外みんな呆気なかったよ。ボーボボなんて一番手が掛かりそうだから最初に襲ったんだけど……油断してたんだろうな。簡単に首が取れちゃったよ。その後はホントーにかーんたん。無謀にもアイツらオレに飛び掛かって来たから、順番に切り刻んでやったのさ。もう爽ー快だったよ!」
耳障りな甲高い笑い声。破天荒は今すぐにでもその口を封じてやりたかった――寧ろその命の終焉を迎えさせてやりたかった――が、邪王の側に居るヘッポコ丸のことがあるので安易には飛び掛かれずにいた。
人質―――なのだろう。
彼がどういう意味合いでヘッポコ丸を側に置いているのかは知らないが、本人にその気はなくとも、破天荒にとってはヘッポコ丸は完全なる人質状態。
仲間を全員失った今…ヘッポコ丸の命だけは、奴には渡さない。
「ヘッポコ丸もか? ソイツも、殺すつもりか?」
「ハハ、まっさかぁ! 殺すわけないじゃん。コイツはオレであって、オレはコイツなんだから。つーか、コイツが死んだらオレも死んじゃうしね」
血に濡れた手で愛しそうにヘッポコ丸の頬を撫でる邪王。その眼差しは『自愛』の色に染まっている。
うっすらと血の色に染まるヘッポコ丸の頬。目は――覚まさない。
「ちょっと、オレの話に付き合ってもらえるか?」
と、頬に添えた手はそのままに、邪王は破天荒を見据え、語り始めた。
「オレは昔からコイツの中に居た。コイツの負の感情の化身としてね。長い間存在していたけれど、ちゃんとした実体を持ったのは、バブウに飲まされた善滅丸がきっかけだった。アンタも知ってるだろ? この辺りのことは」
帝国側に捕らえられた妹を救うため。
そのために……ヘッポコ丸は自らモルモットとなって、毛狩りという名の殺戮を繰り返して――
「オレは学園でボーボボと戦って、惨敗した。それによって、コイツの負の感情は抑えられ、オレは身動きが取れなくなった。それでも、ナカから[外]に出るチャンスは窺っていたけれど――アンタと再会してからは、それすらもままならなくなった」
離れていた恋人との再会。
表面はいがみ合っていようとも、それはお互いの照れ隠しだったから。
本当は――心の底から、嬉しかったことだろう。
「オレは『負』しか知らない。『負』は『幸』には勝てない。絶対にな。だから、オレは諦めていた。コイツの体を乗っとることも、それを仄めかすことも。……けど、状況は何時からか変わっていた」
血の臭いが強くなった気がする。気のせいだと…その一言で片付けることが出来ない。
足元に転がる仲間達から溢れ出す錆色は、未だ止まるところを知らない。それは、じわじわと破天荒の靴を同色に染めていく。
「何時からか、コイツの負の感情が強くなった。同時に、精神にも隙が出来始めた。
原因は単純明快。――アンタだよ、破天荒サン」
―――ドクン。
一度、鼓動が跳ねた。
動揺――した。
その動揺を――邪王は見逃さなかった。
「アンタだって分かってたんだろ? コイツへの愛情が希薄になっていたこと。しかしそれを告げなかった。告げぬまま――アンタは女に逃げた」
自分から突き放すことは出来なかった。
だから、ヘッポコ丸から別れを告げてもらうために――
その痕跡を消さずに、彼に接したりもした。
それが、招いたのは――
全ての、消失。
「アンタがコイツを……ヘッポコ丸を想っていないのはオレにも分かった。オレが分かることが、コイツに分からない筈がない。コイツはずっと知っていた。だが、自分から別れを言い出すことは出来なかった。――当然だよな。コイツにとって、仲間じゃない、特別な情を持ったのは、アンタしか居なかったんだから」
自ら手放すことは、出来なかった。
何もかもを犠牲にしても―――
「だけど、限界が来た。負の感情が、『幸』の感情を覆した。オレは、強奪のチャンスを得た。千載一遇のチャンスを。だから、仄めかし続けた。囁き続けた。じっくりじっくりと精神を削り続けた」
―――他人に依存して、裏切られて哀しむしか…憎しみしか抱けない自分を、消すことが出来るの…?
決定打となった、幾刻前。
ヘッポコ丸は、邪王にそう言った。邪王はそれを、否定も肯定もしなかった。
そうするよりも早く、ヘッポコ丸の意識を沈めた。暗い、闇の中へと――
「早く掬い上げなきゃいけなかった。負の感情は、消化不良を起こし始めていたから」
だから。
邪王は、自分の精神をその体に纏わせたあと。
――負を、解消しなければならなかった。
ヘッポコ丸が抱え込んだ全ての負を、一欠片も残さずに。
「コイツの『負』をここまで大きくさせた原因は、アンタだ。アンタがいっそすんなりとコイツと別れてくれていたなら、オレはこんなことをせずに済んだんだ。ホントーに…バカだな、アンタは」
邪王はヘッポコ丸の頬を撫でていた手を離した。撫でられていた其処は、仲間達の命の色がベッタリと付着していた。
これが、育ちすぎた『負』の結果――?
「俺が…俺が全て、悪いってのか?」
ここで。
ここでようやく破天荒が口を開いた。
最初に抱いていた怒りの感情は――最早、消え失せてしまったようだ。
血に濡れた床に座り込み、俯いたまま、己の手が汚れるのも構わず、原型を留めていない我が師へと手を伸ばした。
「こうやって、おやびんが―――仲間が全員死んだのは、俺のせいだって言いたいのか?」
「そう聞こえなかったなら、アンタの耳は相当悪いんだろうな」
「……話がしたい」
「あ?」
俯かせていた頭を上げ、破天荒は邪王を見据えた。ヘッポコ丸と良く似た――赤の他人を。
「ヘッポコ丸と話がしたい。頼む…ヘッポコ丸を、起こしてくれ」
「………」
邪王は黙った。黙ったままに目を閉じて……そして、言った。
――もう、遅いよ。
その声は、ヘッポコ丸のものだったのか、はたまた邪王だったのか――その答えは、永久に分からない。
邪王は、己のその長き爪で、己の喉を掻き切ったのだから。
呼応するようにヘッポコ丸の喉から吹き出す、赤い紅い血の色。
崩れ落ちる長髪の影。何も発さずに絶命した表と裏。折り重なるように倒れたそれを、破天荒にはどうすることも出来なかった。
「うあああああああああ――――!!!!」
響くのは、慟哭。
全てを捨てきれないままに続けていた関係は、一人の男の全てを奪って、消して、壊して、亡くして、終わったのだ―――
――――
禁句より重い其処に
the GazettE/虚無の終わり 箱詰めの黙示