今日も僕は『破天荒』に成る。




「ねぇ、『破天荒』」
「ん? なに?」
「えへへ、なんでもない」
「そっか」




ふんわりと笑って僕に擦り寄ってくるへっくんの髪を優しく撫でる。手の大きさも体温も破天荒さんとは違うもの。だけど、へっくんは破天荒さんのものだと信じて疑わない。信じて身を委ねて、安心したように笑っている。





僕には出来ない、破天荒さんにしか引き出せない笑顔。





破天荒さんのものだと信じている僕の温もり。彼はそれが代わりだと気付かない。偽物だと気付かない。勿論僕だって言わない。黙って僕は『破天荒』となり、へっくんに接している。





そうしないと――へっくんは、今以上に壊れてしまうから。





















破天荒さんが死んだのは一月前のこと。毛狩り隊との戦闘の際、敵に襲われるへっくんを庇って刃に貫かれ、身代わりとなって死んでしまったのだと聞いた。



僕がボーボボさん達の元へ訪れたのは破天荒さんが死んでから一週間が経った時だった。破天荒さんの死は、その時に聞かされて初めて知った。そして、へっくんが部屋に閉じ籠って出てこないことも、同時に聞かされた。



破天荒さんが死んでからの一週間、へっくんは部屋に閉じ籠って誰も寄せ付けず、部屋からは悲痛な泣き声と破天荒さんを呼ぶ声しか聞こえないらしい。恋人である破天荒さんの死は、へっくんの心に大きな疵(きず)を残したのだという(自分の身代わりで死んだのだから、尚更だ)。




「ライスさん、へっくんの部屋に行ってもらえますか? 私達が行っても、拒絶されて…」




目の下にクマを作って、泣きそうな顔のビュティちゃんが僕にそう頼んできた。彼女も辛いはずなのに、へっくんのことを考えてくれている。そんな彼女の意思を汲んで、僕は部屋に向かった。







部屋へと赴き、ノックをして呼び掛けてみたけど返事はなかった。だから、悪いかなと思ったけど、ボーボボさんに借りた合鍵で部屋へと入った。






部屋に入ると、ベッドの上でへっくんが寝ていた。泣き疲れてしまったのだろうか…ゆっくり近付いて様子を伺う。




ずっと泣いていたのだろう、頬には幾重にも涙の跡があり、まだ乾いていない雫が頬を濡らしていた。擦りすぎて赤く爛れた目元が酷く痛々しくて、へっくんが負った心の疵の大きさが嫌と言うほど伝わってきた。





「へっくん…」




ベッドの縁に座り、綺麗な銀髪を撫でる。布団から覗く腕は、以前よりも細くなっているように思える。きっとこの一週間、ロクに食事も摂っていないのだろう。喉を通るはずがないか…。だけど、こうしてまじまじと見ていると、へっくんのその存在が、より儚くなった印象を抱く。




僕はバカだ。



傷心につけこんで、へっくんを自分のものにしようと考えていた自分が…酷く醜いものに思えた。








僕はずっとへっくんが好きだった。初めて出会った時からずっと。でも、へっくんと破天荒さんがお互いに想い合っていたことは、前々から重々分かっていた。


だから、僕は身を引いた。へっくんの幸せを願って…見守ることを選んだのだ。へっくんを笑顔に出来るのは、僕じゃなかったから。





だけど、完全に諦めたわけではなかった。隙あらば僕が…なんて思うことも少なくなかった。ケンカする度に僕の元へやって来るへっくんに、「破天荒さんをやめて僕にしない?」なんて言ったこともあった。冗談だと思われて流されてしまったけれど。





へっくんが本当に破天荒さんを愛していたのは知っていた。だから今回破天荒さんを失った悲しみで空いた心の隙間を僕が埋めれば、きっとへっくんは僕のモノになってくれる…なんて、憔悴しているボーボボさん達の前で考えてしまった。





けれど浅はかだった。破天荒さんが死してなお、へっくんの心は破天荒さんで埋め尽くされている。僕の入る余地なんて、一辺もなかった。不謹慎だけど、へっくんが破天荒さんの後を追っていないのが、不思議なくらいだ。




「ごめんね、へっくん」




僅かに痛んだように思う銀髪を撫でつけ、僕は静かに謝罪の言葉を口にした。こんな愚かな僕を許してくれなくてもいい。ただ、これから、君の悲しみが軽くなるように、僕に出来ることはなんでもするから。




だから、また前みたいに、笑ってくれないかな…。





頬に残る涙を拭うように撫でると、ピクリと反応があった。




起こしちゃったかな? また泣き始めてしまうのだろうか。それとも、僅かでも気持ちが安定していて、歪でも、笑顔を見せてくれるのだろうか。




うっすらと開かれた瞼。覗く紅い瞳には何時もの光は無く、暗く濁っていた。その瞳と、目が合った。




「おはよう」




何を言えば良いのか分からなくて、口をついて出たのは平凡な起床の挨拶。けれどへっくんはそれに反応してくれなくて、僕を見つめたままだった。どうしたんだろう。




「勝手に入ってごめんね。ボーボボさんに合鍵を借りたんだ。みんな心配してたよ、へっく」




紡ぐ言葉は最後まで発せられることはなかった。いきなりへっくんが、僕に抱き着いてきたからだ。


訳が分からず慌てる僕。だけど引き剥がすことは出来ず、しかし抱き締めてあげることも出来ず、行き場を無くした両腕はふわふわと浮いている。あぁもう、僕って本当に臆病者っ。





しかし僕の混乱は、へっくんが発した一言で、更に拍車を掛けられた。

















「お帰り、『破天荒』」
















時が止まったかのように、僕の不自然な挙動はストップした。だって、だって…発せられたのは、僕の名前ではなかったんだ。破天荒と…彼は確かにそう言った。一体、これはどういうこと?



意味が分からず黙ったままの僕を無視し、へっくんは更に言葉を紡ぐ。




「遅かったね『破天荒』。俺ずっと待ってたんだよ? やっぱりあの時のことは夢だったんだね。『破天荒』は死んでなかったんだ。こうして俺の所に、帰ってきてくれたもん」




この言葉を聞いて理解した。へっくんが、僕を破天荒さんだと勘違いしていると。





へっくんが――壊れてしまったのだと。






破天荒さんの死は、へっくんの心をズタズタに引き裂いた。悲しみで彩られ、へっくんの心は壊れてしまった。




壊れた心を戻すには、現実を否定するしかなかった。誰かを破天荒さんだと思うことで、心が完全に死ぬことを防がなければならなかった。流した涙は、へっくんから現実を消し去っていったのだ。




そうするしか――なかったのだ。





へっくんのことを思うなら、「違う」と言うべきなのだろう。だけど、ここで僕が否定してしまえば、へっくんの心は本当に死んでしまって、破天荒さんの後を追ってしまうのかもしれない。だから――







「ただいま」





僕が『破天荒』に成って、このまま過ごしていけばいいんだ。僕を――『ライス』を封印してしまえば、いいんだ。





もう僕の名前を呼んでくれなくても、へっくんが生きてくれるのなら、僕は…それで構わないから。












あれから更に一月が経った。へっくんは相変わらず、僕を『破天荒』と呼ぶ。僕を『破天荒』だと、信じ切っている。



僕は『破天荒』と成りながら、しかし完全な『破天荒』になることはしなかった。見た目は勿論、言葉遣いも僕のまま。『ライス』を封印すると決心したくせに、やりきれないのは僕の弱さだ。だというのに、へっくんは僕を『破天荒』と信じて疑わず、今日も『破天荒』を愛している。




「ねぇ『破天荒』、そういえば最近ライス来ないよね。どうしたのかな」
「…さぁね、きっと忙しいんじゃないかな?」
「そっか。次はいつ来るのかなぁ」




無邪気にそう話すへっくんを見るのが辛くて、僕は彼の肩を強く抱いた。そうすればへっくんは嬉しそうに僕に…『破天荒』に擦り寄る。本当に、幸せそうに。





本当は、僕はここに居ると言いたい。破天荒さんは死んだのだと打ち明けたい。そしてその現実を、きちっと受け止めて欲しい。




だけど、それは無理な話。へっくんの心は壊れたまま。戻る気配はない。





これ以上へっくんの心が壊れないように、今日も僕は『破天荒』となる。


















――――
優しき嘘
the GazettE/GENTLE LIE

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