テリー・ファンクこそロックである
男ならテリーのように生きろ!


1975年にプロレス界で当時もっとも権威のあったNWA世界ヘビー級王者に君臨。エリートにもかかわらず感情剥き出しのハングリーファイトで日本でも人気者になる。1番有名なのは77年の蔵前国技館でのドリー、テリーのファンクスVSブッチャー、シークのタッグ選手権だ。フォーク攻撃で腕を裂かれながらもパンチで攻撃するテリーに実況のアナウンサーまでも感動してしまった伝説の試合である。この後、引退復帰を繰り返す。
81年、ファンクスVSブロディ、スヌーカー戦で、ブロディ側のセコンドであった弟子のスタン・ハンセンに「テキサスの化石になれ!」とラリアットで場外に沈められてしまう。
試合の度にテリーはいいところなくハンセンにズタボロにされてしまう。テリーの古いレスリングスタイルはもう時代遅れだった。子供の頃、ハンセンがラリアットも出さずにテリーをボコボコにしたのを何度も見た。また引退。
90年代に入り、またテリーは蘇る。93年大仁田率いるFMWで有刺鉄線電流爆破デスマッチを行う。そして12年ぶりにザ・シークと激突し、シークの火炎攻撃で火傷を負う。
この時期にモハメッド・アリにも勝ったボクシング元世界ヘビー級王者レオン・スピンクスと異種格闘技戦も行い、大乱打戦。スピニング・トーホールドまで決めたが反則勝ち。
95年、WINGの壮絶なデスマッチトーナメントでは1回戦でレザー・フェイス、2回戦ではタイガー・ジェット・シンに勝利。決勝でキャクタス・ジャックに敗れ、両手痙攣で病院送りになる。血みどろの勝者ジャックも「ファンク、アンタこそ男の中の男だ」と賞賛した。
97年にはアメリカのインディー団体ECWで王者に挑戦するトライアングルマッチで53歳のテリーがハシゴの上からムーンサルトを決行。ゴミ箱やハシゴを無茶苦茶に振り回し、若いレスラー2人を血みどろになりながら次々フォールし、挑戦権を獲得。案の定王者にズタボロにされながらも一瞬の逆転技でフォールし、チャンピオンになってしまう。
こんなエピソードがある。
FMWで場外にいる敵めがけてコーナーポストからバック転しながら攻撃(ムーンサルト)しようとしていたテリーが、足を滑らせて頭を打ち、そのまま救急車で運ばれて行った。
それを見ていたテレビディレクターのテリー伊藤氏は著書の中でこう言っている。
「週末の華やかなリングでなんと無様な、と思う人もいるだろうが、考えてみてほしい。馬場や猪木が、今から日本よりも小さな国へ行って、そこでヒールになって戦うだろうか?彼らは言うならばお山の大将に過ぎない。それよりも、ブーイングを受けながら登場し、50過ぎというのに口から火まで吹いて演出し、その数時間後に横浜の病院に横たわっていたテリー・ファンクを思い、私は強く感じたのだ。やっぱり神はいると」
テリー・ファンクはやはりロックである。


https://youtu.be/JoFdF2qUKv0

https://youtu.be/PhFrPlHWaJI

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