05/25の日記

23:53
"糧"と"枷"は表裏一体
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超シリアス注意






私がここ一年で気が付いた事。

それは「"糧"と"枷"は表裏一体」だと言う事である。


例えば配偶者や子供が居る事が良い例だろう。

彼、または彼女のために、仕事の辛さも乗り越えられる。
しかし裏を返せば、彼(彼女)のせいで味わう必要の無い苦しみを味わってしまう。


そして今の私も良い例だ。

高校の時、私は先生や母親や親戚の人々から大きな期待を掛けられていた。
正直それは「私自身が望んだ道への期待」ではなかったので、とても辛くて嫌だった。

しかし今思えば、それは幸せな事だったのかも知れないのだ。
彼らが期待してくれているからこそそれに応えたいと言う気持ちが生まれ、その結果「頑張れた」のだから。

だけど、大学に入ってからはどうだろうか?

今は誰からも、期待を掛けられてはいない。
確かにそれは楽なのだが、頑張る気にもなれなくて、とても味気ないと感じてしまうのだ。


銀さんも言っていた、「荷物(新八や神楽)が無いと楽しくない」と。

多分そう言う事なんだろうな。


そしてもう一つ気が付いた事がある。
それは「やりたい事や、やらなければならない事が無いと、人は生きてゆけない」と言う事だ。

この「やりたい事云々」を言い換えると、「目標」や「目的」になる。


高3の時には大学入学のため、必死で勉強(のようなもの)をしていた。
好きな事ができなくて辛かったが、「目標」に向って頑張れていたから、それなりに充実していた。
自分は「生きている」のだと実感できた。

しかし大学では私のやりたい事が無い。(因みにその事で卒論が危うい)

だから自由な時間が沢山会っても、とても虚しく感じている。


「目標・目的」とは生き甲斐である。何度でも言うが、それが無ければ生きられない。

『仁』でも『幕末志士の恋愛事情』でも『薄桜鬼』でも『銀魂』でも、そのことは見られた。

『仁』…主人公の南方は、江戸時代での自分の生きる目的を見出だせなかったので、龍馬から「死人みたいじゃ」と言われた。

『幕末〜』…武市はトリップしてきたヒロインに、「この時代での自分の役割を見付けろ」(だったと思う)と言った。

『薄桜鬼』…千鶴が屯所の家事をしているのは、「皆の役に立って」自分の存在意義を確立するため。

『銀魂』…お妙さんの言葉、「本当に悲しいのは進む方向も分からず、暗闇で立ち尽くしている人」。(=自分が何をしたら良いのか分からない。目標が無い)


今の私は、「大学生活での」自分の役割・目標・目的を見出だせていない状態だ。

だからいつも「いつ死んでしまったとしても良いや」と考えてしまう。(決して死にたいとは思っていない)


勿論大学以外の生活ではやりたい事は沢山ある。
旅行に行きたいとか、ボランティア活動をしたいとか、本サイトの運営もその一つだ。

しかし休日でも大学の影は付き纏ってくるし、そもそもが大学にいる時間の方が長い。

大学のせいで、それ以外の事が叶わないのだ。


本当に退学したい。
このまま在学していても、自分の身にならないと思うから。

やっぱり高校の時に、周りがどんなに反対しようとも、自分の心に従えば良かった。

それなら大変な思いをしようと、「それは自分の責任だ」と諦めるなり頑張るなりできるだろうから。
(勿論周りの言いなりになると「選んだ」のは、紛れもなくこの「私」なのだと言う事も解っているのだが)


ああ、何を言いたいのか分からないな…


ただこれだけは言えるだろう。

要は「糧」にするか「枷」にするかは、自分自身の気持ちの持ちよう。
そして私が今一番すべきなのは、大学生活での「生き甲斐」を見付ける事。

う〜ん…難しいなぁ…


それからこの言葉は絶対に忘れたくない。

「荷を軽くしてほしいと言ってはいけない。(もっと沢山の、重い荷でも背負えるような)広い背中がほしいと祈るのです」




話は変わるがさっきグータンヌーボを見ていたら、出演者が「恋愛をすると精神が安定する」と言っていた。
しかし私はこう思う。

「精神が安定しているから恋愛できるんじゃねーの?
精神が不安定な時は、恋愛(人間関係)なんかに気をやれないがな」


皆さんはどうお考えでしょうか?



あ、この日記って、1700字近く有るわ。

レポートもこんな感じで、2時間位で楽に書けたら良いのに〜(笑)

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