03/11の日記

21:34
あの日から一年
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昨年の3月11日、テレビを見ようと電源を付けチャンネルを切り替えた瞬間、地震速報のテロップが入った。

私はその時、「あ〜、また地震か〜」としか思わなかったのだが、あれよあれよと言う間に殆どの番組が地震のニュースに変わった。
見れば最大震度は「7」。あの阪神淡路大震災や新潟県中越地震と同じ震度だ。

正直あんな大きな被害になるとは思っていなかった。
発生時刻が昼間であり、新潟の地震では亡くなった方も少なく、津波の高さ予想もそれ程大きなものではなかったから。

そしてそれから一時間もしない内に、東北の地を津波が襲った。

私はテレビの前から動けなくなってしまった。
あの広大な土地を街や車ごと津波が呑み込んでいく。いや、津波と言うよりは「土石流」で、もっと言えば「黒い悪魔」だった。
津波の映像を見るのが生まれて初めてだった私には、そう見えたのだ。

怖くて怖くて、悲しくて悲しくて、ただただ涙が止まらなかった。

結局テレビから離れたのは、5時間半後の夜8時半だった。

その後、原発で事故が有り、地震や津波で直接家を失くさなかった人も住む場所を失ってしまった。
予想だにしなかった数の人々が犠牲になってしまった。


何度、地震が起こったのが高知だったら良かったのに、と思ったか分からない。
どうしてあの地で起こったんだ、と思ったか分からない。
私が身代わりに慣れたら良いのに、と思ったか分からない。

だけど残念な事に、それは絶対に叶わないのだ。


怖かったろうな。あたしでも思い出すたんびに泣いてしまうくらいなんだから。
まだ怖いろうな。あたしでも地震や津波に関係する夢を見てしまうくらいなんだから。


私は早い復興を祈り願い、僅かなお金を寄付をする事しかできない。
彼らは私が想像しているより遥かに、厳しい状況にいるのだろう。

それでも、諦めてほしくないと思っている。
たまには息抜きをしながら、生きていてほしいと思っている。



あまり長くなるのも良くないかも知れませんので、ここで締め括ろうと思います。


亡くなった人々のご冥福を、そして、生きている人々の幸せと笑顔を願います。



平成24年3月11日
Sans Souci! 管理人、雪輪

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