待雪草編 [二]

□天竺葵編
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 事態がとりあえずの収束を見せたのは、明け方近くになってからだった。剣を納めた真昼と時津は、その荒れ果てた様を、息を整えながら見渡した。
 戦闘自体はそう時間が経たずに終結したが、とにかく後始末に手を取られている現状だった。夥しい数の敵の残骸を確認する黄邸面子の傍らで、黒邸の闘戯者達は生け捕りにした者を締め上げている。
 捕縛した敵の中に、栄衡と吾妻の姿を見付けた真昼は、独り言のようにぼそりと悪態を吐いた。

「あの野郎……残しとけって言ったのに」

 二人共完全に伸びている。
 縄を掛けられている肢体は弛緩しきっており、だらりと垂れ下がる腕を見たら、一瞬死んでいるんじゃないかと思ったほどだ。
 真昼の睨んだ先で、舞宮が既に意識をとうに手放した奴等を靴先でぞんざいに蹴り上げている。チッと舌打ちをした舞宮が自分の汚れた闘剣を、奴等のやたら上等そうな衣服で拭っているのを見て、真昼は顔を顰めた。

「いや、舞宮もあれで結構腹に据えかねてると思いますよ……」

 汗ばんだシャツをぱたぱたやりながら呑気な口ぶりで、しかし何やら思いがけぬことを言う時津を、真昼は呆れたように見やる。

「冗談言えよ」

 あの舞宮に限って……と真昼は思うのだが。実際さっきの舞宮の趣味の悪い冗談には、真昼でさえも白け切ってしまったほどだ。

「いや本当。顔には出さないけど、あいつもああいう下種いのは好きじゃないしね。それに自分の大将侮辱されるってのは、なかなか腹立つもんですよ」

「……ほう」

 時津が恬とした口調には似合わぬ真面目な顔で言うものだから、真昼はわざとおどけたように目を瞠る。なんとなく気恥ずかしく、真顔で聞けないような気分だったのだ。
 するとふざけた真昼の態度にやや瞳を細めた時津は、きっちりと釘を刺してきた。

「分かったら、少し軽率な行動は慎んでくださいね」

「……」

 こればかりは何も返せない。結果的に上手くいったからいいものの、この場における損害はすべて真昼の失態と言っていい。
 腕の辺りに僅かな切り傷を負った時津を無言で見つめ、真昼はぐっと奥歯を噛み締めた。
 時津達が以前からこの件で、どれだけ慎重に動いていたか知っている。自分が馬鹿をやらなければ、皆無傷で任務を完遂できていたかもしれないと思うと、真昼の表情も硬くなる。
 柄にもなく反論を封じられている真昼の神妙な顔付きを見て、時津はあっさりと話の矛先を変えてくれた。

「……さて。リンさんの方はどうします?」

 その心遣いをありがたく頂いて、「平気だろ、音羽に任せとけば」と素っ気ない風を装って真昼が答えたところで、丁度珠己と環波がこちらに駆け寄ってくるのが見えた。
「隊長!」と高い声で叫ぶ彼らの跳ねるような足取りを見ると、幸い二人とも大きな怪我はなさそうだ。

「……こいつらどうしますか?」

 辿り着いた環波は真昼にそう訊き、捕縛した虜を指差す。
 いつもの冷めた憎まれ口の一つも飛んでくるだろうと予想していたが、珠己も何やら真面目くさった顔付きで真昼の指示を仰いでくる。なので真昼は、心持ち穏やかな声を心掛けた。

「検分が終わるまで置いとけばいいんじゃね? じきに鼎佐方もくるだろ」

「なら隊長はひとまず王都に戻ってください。夕霧鼎佐方への引き渡しは僕たちでもできますから……」

 上目に見上げてくる環波の表情には、ありありと真昼への心配が見て取れる。さっきの件で気を遣ってくれてるんだろう……と思ったらなんとも言えない気分になった。
 正直要らぬ配慮だ。あんなことで参っているなどと思われるのは、まったくの見当違いである。強いて言うなれば、部下にそんな哀しげな目をされる事のほうがだいぶ堪えるのだが……。

「……」

 そんな事を思う真昼は、ちらり、と意見を求めるように背後の時津に視線をやった。すると真昼の瞳を受け止めた時津は、軽く肩を竦めて笑う。

「どちらでも。隊長の指示に従いますよ」

 そう言った時津の右腕には、明らかに返り血とは異なる鮮血が滲んでいる。
 先程敵と交戦中に掠ったものらしく、本人は平気そうな顔をしているが、血の量を見るとそう浅い傷とは思えない。現に今も出血は止まっていないようで、彼は時折尻の辺りで適当に血を拭うような素振りを繰り返している。

「なら頼む、悪いな」

 視線を戻した真昼がそう言うと、環波と珠己の二人はこくりと大きく頷いた。その答えを予想していなかったのか、意外そうな顔をしている時津に、振り向かぬまま真昼は声を掛ける。

「来い時津」

「え?」

 既に大股で歩き出している真昼は、どうやら倉庫の外に出ようとしているらしかった。その思惑が分からず軽く首を傾げていると、そんな時津の耳に再び鋭い命令が入る。

「腕下ろすな、俺がいいと言うまで肩より上にしとけ」

「はあ……」

 言われるがまま右手を上げた状態で、時津は頼りない返事をし、何が何やら分からぬまま彼の背中に付いて行った。
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