白日の夢
□白日の夢
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「――は……っ!」
眩い太陽の光がカーテンを透過して、朝霞の頬を痛いくらいに照らしていた。目を見開いた朝霞は、寝起きとは思えぬ俊敏な動作で寝台から飛び降りると、今自分がいる場所を見渡す。
白で統一された簡素な部屋。書棚にぎっしりと詰まっている資料や本。
それは、見慣れた自分の部屋の景色だった。
「……?」
けれど、いつ、どうやってこの部屋に戻ってきたのか……まったく思い出せない。
朝霞は棒立ちのまま、自分の纏っている衣服を確かめる。隊服のシャツのままだったが、特に乱れも汚れもなく、まるで着替えたばかりのように綺麗な状態だ。
自分でも何に警戒しているのか分からぬまま、朝霞は忍び足で部屋の扉に向かった。薄く開けた隙間から廊下の様子を覗くと、丁度朝支度を終えたばかりの闘戯者達でざわついているのが見えた。
その中に朝からすまし顔の美形を見付けて、思わず朝霞はその手を取る。
「嵩槻……っ」
慌てた様子で呼んだ朝霞を、彼は胡乱げにじろりと見てくる。
「お、お前がここまで運んでくれたのか……?」
闘戯者達の生活空間である宿舎は鼎の自室とは別棟にある為、決して近くはない。朝霞が自分でこの部屋に帰ってきた記憶がない以上、誰かがここまで運んでくれたとしか考えられなかった。
「覚えてないのか……幸せな奴だな」
その声に、朝霞はさあっと青ざめた。
思い出すのが恐ろしくて、朝霞はじっと嵩槻の言葉を待った。
嵩槻は瞳だけで周囲をちらりと見渡すと、そのまま部屋の中に入る。後ろ手で扉を閉めると、二人の世界は静寂に切り取られた。
「俺と楽雅鼎佐でな。ここまで運ぶのがどれだけ大変だったと思ってる」
迷惑そうな顔で言われて、朝霞はもう何から驚いていいか分からずに錯乱状態だった。
「楽雅鼎佐が、わざわざ……? なんで……」
「お前が自分の部屋に帰るって喚いて仕方なかったからだろ。都合の悪いことは全部忘れていいとは、眩薬ってのは便利な薬だな」
「……そ、そうなのか?」
狼狽える朝霞に、嵩槻は神経質そうな溜息を吐いた。
「っていうかここに帰ってきたの、昨日の夕方だぞ? 今起きたのか」
「……うん」
呆然としたまま頷いた朝霞は、ぐしゃぐしゃと髪をかきまぜる。
それを見た嵩槻の瞳に、初めて僅かに朝霞を心配するような色が混ざった。
「後遺症はないんだよな。記憶、そんなに曖昧なのか?」
幾分優しい声を出す嵩槻が、朝霞の顔を覗き込んでくる。その問いを受けて、朝霞は白んだ記憶を必死に手繰り寄せようと試みた。
そうだ……飛喃と共に、間違えておかしな薬を飲んでしまったことまでは覚えている。
それから……廊下で行き倒れている時に香夜に会って、楽雅鼎佐に連行されて……いつも仕事をするあの部屋で、朝霞は膝から崩れ落ちた。呆れ顔の楽雅鼎佐が体を支えてくれて、それをいいことに朝霞は彼の胸に、肩に縋った。
あの時の力強い彼の腕の感触が、今もこの体に残っている。
『――好きです!』
そうして、思わず叫ぶようにそう言ったのは……夢か現実か。
黙り込んだ朝霞は、そのまま掌できつく口許を覆った。
……やばい。
夢であってくれないと、とても正気ではいられない。
「朝霞……?」
尋常ではない量の冷や汗をかきつつ黙り込んだ朝霞を見て、嵩槻は不思議そうな声を出す。
しかし答える余裕は、無論なかった。回想が進むにつれて、朝霞の顔に血が上ってくる。好きだと叫んで、泣いて縋って、多分文句も言いまくった。
……いや、それどころじゃない。
楽雅鼎佐の綺麗な指が朝霞の腰に伸びて……熱い場所に、ゆっくりと潜り込んだ。
『体も馬鹿正直だな』
微かな笑いを含んだ低い声が、耳朶をくすぐった。
あの声も、彼の指先の生々しい感触も、すべて夢だというのか?
『もう、できないのに……苦しい、よおー……』
縺れる舌で、子供のように拙く強請った。それに対して、あくまでも落ちついた静かな声が降ってくる。
『出さずにイってみるか』
『ん、なに……』
『こっち使ったら、意外と癖になるかもな』
思い付きのように言った彼の長い指が、するりと朝霞の後ろに伸び、躊躇なく……しかし緩慢な仕草でその場所を開いていた。
痛みはなく、抵抗もなく、朝霞は従順にそれに従った。ただただその場所が熱くて、それだけは堪えきれなくて、上擦った声で泣いた。
『……っ、ああ!』
『いい声だ……しっかり入るしな』
揶揄い半分みたいな声が恨めしくて、でも朝霞にはどうすることもできなかった。
埋め込まれた場所からぞくぞくとしたものが背筋を這い上がり、脳髄を痺れさせる。あの潔癖で堅い男の指が、今自分の体内に入っている。そう自覚すると、それだけで意識が飛びそうだった。
『え、うそ……い、や……』
『嫌じゃねえだろ、ほら……』
彼の指に、反応していた。歓喜していた……隠しようもなく。
既に全身を、心のすべてを、目の前の男に明け渡していた。
『っ……なに、だめ……こんなの変……あ、あ……!』
両手で必死に縋って、彼の胸に額を擦り付けて、勝手に動いてしまう下半身に慄き震え……それでも猛烈な感激を隠せず、朝霞は未だかつてない絶頂に導かれた。
『やっぱりお前、素質あるんじゃねえ?』
涙を流し、激しすぎる快感に言葉を失う朝霞が呆然としていると、楽雅はぼそりとそんな事を言った。
意外にも楽雅のその声にはいつもの余裕がないように感じられて、朝霞は余計に戸惑った。見つめてくる彼の瞳もその時は眼鏡で覆われておらず、おかげで視線が痛いくらいだった。
『はあっ……、は、……』
肩で息をしていた朝霞は、どろどろに乱れたまま楽雅の瞳を見つめ返す。
こんな至近距離で彼の顔を見られる機会は、二度とないかもしれない。朦朧とした意識の中、朝霞はそんな事を考えていた。
こんな幸せな夢を見られる事は、二度とないだろうと。
『……、っと』
『なんだ』
記憶の中の楽雅が、普段だったら天地がひっくり返ってもありえないような、優しげな声で訊き返してくれる。胸がじんわりと熱くなる感覚に、感じやすくなった朝霞の目に再び涙が溢れた。
今ここで死んでしまってもいいと、本気で思った。
未だ朝霞の内部を探る長い指先は、巧みに朝霞を追い上げ、快感の余韻を教え込ませる。きりがないほど、朝霞の体は熱が灯った。
うっとりとそれに陶酔する朝霞は目を閉じると、楽雅の耳許で囁いた。
『もっと……今の、して』
「だあ――っ……!」
突然叫んだ朝霞が、壁に自らの頭を打ち付けたのを、嵩槻は危険なものでも見るような目付きで眺めていた。彼は心持ち朝霞から距離を取ると、苦々しい表情のまま言う。
「……外に聞こえる、静かにしろよ」
「静かにしてられる状況じゃねえよ」
朝霞は絶望した声でそう呟き、よろよろと寝台の端に座り込んだ。冷静な嵩槻の顔を見る限り、彼は昨日の朝霞の本当の失態の詳細までは知らないのだろう。
どうしよう、やってしまった。なんですべて忘れていないのか……いっそすべて飛んでしまっていて欲しかった。
この先どうやって鼎佐と顔を合わせろというのか。もうこのままどこか知らない場所へ逃亡したかった……できないだろうか。
「……今日、休んじゃ駄目か? 仕事引き継ぐから……」
恐る恐る顔を上げた朝霞に、盛大に眉根を寄せた嵩槻は、もう話す事はないとばかりにさっさと身を翻してしまった。
「馬鹿言うな、お前の代わりなんて二度とやりたくない。さっさと髪整えて上も着てこい」
そのほっそりとした後ろ姿を追いかけながら、朝霞は声を上げた。
「待て、置いてくな……せめて一緒に行ってください」
慌てふためく朝霞は、椅子に掛けてあった隊服の上着を引っ掴むと、つんのめりそうになりながら既に出て行った嵩槻の事を追い掛けた。