□長い雨の後に<後編>
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「済まぬがおしき殿、夕飯の用意をしていてくれるか?」
 海野は台所に顔を出し、しきに声をかけた。しきは相変わらずの笑顔で振り向く。
「分かりました。……海野様、お出かけでございますか?」
「ああ、小助に頼まれてな。薬草を採りに行ってくる」
 海野は仕方なさそうに肩をすくめて答えた。海野としては佐助や鎌之助あたりに採りに行かせたいところなのだが、如何せん彼らに薬草の知識はない。
「……あの、海野様。薬草はわたくしが採りに行きますわ」
「なにゆえ? おしき殿は夕飯の用意を……」
「いいえ、わたくしに行かせてくださいませ。夕餉の準備は、戻って来てからでも間に合います」
 しきは青い顔をして首を振る。海野は目を細めて彼女を見下ろした。
「なにか、理由でもあるのか?」
 しきは表情を変えない。動揺する様子もなかった。
「いいえ。……ただ、海野様のお役に立ちたいだけでございます」
「…………さようか。ならば、頼もう。これに書いてある薬草だが……わかるか?」
 海野は溜め息をついたあと、懐から折りたたんだ紙を出し、しきに手渡した。しきは微笑んでうなずくと、台所を出ていった。
「……ようやく、動き出したというところか……」
 小さく独り言ち、海野は短く息を吐く。
「……佐助」
「どうしたの、六ちゃん?」
 呼ぶと、屋根のほうから声がした。海野は格子窓の奥を見つめる。霧雨が降っているようだった。
「おしき殿の後をつけてくれ」
「しきちゃんの?」
 佐助が不思議そうな声で問い返してくる。ほんの僅かに、海野の瞳が伏せられた。
「くれぐれも、悟られぬように」
「それは、心配いらないけどさ。どうしてしきちゃんを?」
 問いには答えなかった海野に、佐助はまだ得心いかないようだ。しかしそれにも、海野は答えようとしなかった。
「殿の命だ。理由は、聞くな」
「ゆきむらさまの命令かぁ。承知」
 それを境に、屋根裏の気配が消える。
「……うっとうしい雨だな。一体いつまで降っているのだ」
 重苦しく胸中にのしかかるモノを払いのけるように、静かに呟いた。







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