□意地っ張りの帰る家
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庵に戻りたくない訳ではなかった。それはやはり唯一の帰る処であるし、一番安らげる。
しかしそうと言って何かの度に帰ろうと思うかというと、それは難しいところだった。胸の奥の方で何か詰まったような居心地の悪さは感じるけれど、我慢の範囲内であるから大して気にしたこともない。

「ゆり……お百合?」
目の前でひらひらと手を振られて我に返ると、綺麗に化粧をした女が心配そうに首を傾げていた。
鎌之助は『お百合』の顔をして微笑む。
「ごめん、何の話だったっけ」
「ちょっとー、大丈夫? 蛍姐さんが体調悪いから夜のお座敷代わってほしいって。……百合も調子よくないならあたしが代わりに行くけど」
鎌之助が諜報時の『同僚』であるその女は、彼が男であることを知らない。すっかり『お百合』が女だと信じこみ、また余計な詮索はせずに接してくれる。
「あ……大丈夫よ、平気。ちょっと考えごとしてただけだから」
鎌之助はにこりと言って立ち上がった。鬘だが人間のそれと見紛う一束が、音もなく肩口を滑った。
「帰りたいなら、素直に帰ればいいのに」
「え?」
女の言葉に鎌之助は怪訝な顔をする。彼女はアラやだ、と口元に手を当ててから続けた。
「あなた気付いてないの、自分で? 三日も仕事するとそれ以降はいつも溜め息ばかりついてるじゃない。それもすごく恋しそうに。百合はあたし達と違って帰る家もあるんでしょう? それってきっと家が恋しいんじゃないかしら」
「まさか。子供じゃないのよ!」
「子供じゃなくてもそうよ。その家に好い人がいるんでしょ?」
女に言われ、鎌之助は仰天して首を振った。その『家』にいるのは同性の主君と仲間だ。異性はいることはいるが、主君の妻と娘。まさか恋焦がれるはずもない。
「あら、違うの?」
「違うに決まってるわ!」
しゃあしゃあと言う女に、鎌之助は勢いよく頷いた。
「じゃあどうしてあなたはここにいるのかしら」
「は……?」
再び眉根が寄る。彼女の言うことはどうにも分かりにくい。
「あたしなら、帰る家があって、暮らしていくのにそう困ってもいなければ、好き好んで芸妓なんて仕事しないわ」
自嘲的な笑みに鎌之助は言葉をなくす。この言葉をそっくりそのまま、うちの女好きな連中に聞かせてやりたいものだ、などと考えた。
「それでももし仕事するとしたら、やっぱりそれは大切な人の為としか考えられないな、あたしは。何か事情があって、どうしてもって頼まれたら、断れないと思う」
まぁあたしは馬鹿だから、そんな想像しか出来ないんだけどね。
言って苦笑した女を、鎌之助は思わず抱き締めた。
「あんた、本当にいい女だよ」
「どうしたのよ、百合?」
クスクスと笑いながら訊く彼女に微笑んで、鎌之助は口を開いた。
「ごめん、やっぱりお座敷頼んでいい?」
「いってらっしゃい」

快諾してくれた彼女に礼を言わねばなるまい。彼女は大切なことも思い出させてくれた。
自分が山賊の頭を辞めたのも、九度山についていったのも、今こうして女の格好をしているのも、―――全て『大切な人』の為だったことを。





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