□そうだ、散歩へ行こう。
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「あら、若様!」
 幸村と海野が団子屋に顔を見せた途端、店の者は目を丸くしてわたわたと出迎えにきた。
「若様と海野様のお二人でいらっしゃったのでございますか?」
「ああ。女将、茶と団子を一人前ずつ」
「女将、二人分だ」
 海野が主に腰をかけるよう促して言いつけると、幸村は律儀に訂正を入れた。それから、すぐ足元に控えた海野を不満顔で見下ろす。
「隣に座れ。そんなところにいては店の者も歩きづらかろう」
「御意。それでは、失礼致します」
 そう言って肩を並べると漸く、幸村はいつもの笑顔に戻った。つられて海野も微笑む。
 海野様が笑われるのは若様の前だけでだ、などと店の奥で囁かれていることは知るよしもない。
「――――若、」
「わたしはもう若、と呼ばれる年齢ではないんだがな」
 幸村は運んでこられた団子を食みながら肩をすくめる。海野は僅かに目元を和らげて頷き、幸村さま、と呼び直した。
「今日は一体どうなさったのですか? いつもならば供の者もつけず、ひとりでお出掛けなされるというのに」
「なんだ、六は来たくはなかったのか」
 それは悪かったな、と早合点する幸村に海野は勢いよく首を振った。その様子から、彼の真意を察するのは幸村にとってひどく容易なことだった。幸村は一度はつくりかけた仏頂面を取り払って応える。
「六と、散歩がしたくなってな」
「それは、ありがたき幸せにございまする。…………しかし、それだけではないでしょう? 何か色々と、物思いをなさっているお顔付きだ」
 己の推測の正否を確かめるように言葉を選ぶ近習に、幸村はくしゃと顔を歪めて見せた。
「敵わぬな、六には!」
「私を何だとお思いで? 私は、ほかの誰よりもあなたのお側につかえてきた身でございますれば」
 不敵に笑う海野に降参の格好をして見せ、幸村はフと遠い目をした。
「妻をめとったら、こうして過ごす時間もなくなるのだと思ってなぁ」
「嬉しくはありませぬのか、婚礼は」
「どうだろうなぁ、分からぬからな、妻がいる生活というのが。六や小助や六郎の仕事がなくなるということくらいしか、実感が湧かぬのだが」
 思案するような幸村の横顔を見つめて、海野はぼんやり他のことを考えていた。

 あれは確か子供の頃のことだ、まだ幸村の従者が海野一人だった時のこと。幸村は真白い花弁を枝一杯にたたえた桜の木の下で立ち尽くし、ただそれをじっと振り仰いでいた。後ろに立った海野にも気付かず、散り堕ちる花弁を抑えるように、頑な双眸をひたすらに注ぐ幼い幸村は、静かに泣いていた。
 泣いているのは確かなのに、海野を振り返った彼の瞳はすっかり乾いていて、いつもの笑顔で唇を三日月にしたのだった。

 ―――六、わたしたちの絆は不滅だ、と。


 その時とまるきり同じ微笑が今己の隣に在るものだから、海野は理由のない焦燥感に駆られてしまった。その表情の微妙な変化を捉えた幸村が、彼の顔をズイと覗きこむ。
「どうかしたか、六」
「……幸村さまが奥方を迎えられましても、私たちは変わりませぬ」
 自分の皿の上の手をつけていない団子を勧めながら、海野は尊信する主君を真摯な眼差しで見た。
 幸村は瞬間、きょとんと目を見張ったが、すぐに泣きそうな顔になり、それから目を細めて笑ってみせた。
「六には敵わぬなぁ」





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