□切り落とした指
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切り落とした指


久々に長くなった手足を伸ばし、外の空気を肺一杯に吸い込む。家の者が外出しているすきを狙った。人間の姿に戻るのは、数ヵ月ぶりか。

スキャバーズ、と呼ばれるようになって二年が過ぎた。―――あの夜から丁度、二年経った。幸い潜り込んだ家が正しかったのか、己をネズミであると疑わないものはない。

スキャバーズの生活にこれと言った不満はない。人間の姿に戻れないのは窮屈だが、食べるものにも寝る場所にも不自由しなかった。何より、絶対的な安全が約束されているのだ。

「あの夜」の自分の所業に後悔などしていない。あの方に二人の居場所を教えていなければ今のこの身は存在していなかった。またどの道、あの方は二人の居場所を突き止めていただろう。
要は経過と所要時間が彼らの予定と噛み合わなかっただけの話だ。―――後悔など、していない。

今こうしてここに至るまでに、いくつかのものを落としてきてしまった。友、主君、居場所、信頼…………。それでもまだ、もっとも大切なものはこの手で握って離していない。自分にしては上出来と言えよう。命さえあれば、いくらでもやり直しなど可能だ。

この家の六男は半年もすれば三才になる。……二人の、最愛の息子と同じ学年。もしかしたらいつか、会うことがあるのかもしれない。その時、この悪魔の刻印は一体何を示すだろう。
いつかこの家の子供のペットとして、あの城に戻る時が来るだろう。その時、自分は一体何を思うのだろうか。己の学生時代を思い出し、感傷に浸るか? あの惨めな日々の自分を。

―――こんなに無力な己にだって、わかっていることくらいある。あの城にいた時分は、決して惨めなどではなかったということ。何も始まっていなくて手に持つものもなかったけれど、終わってしまったものも何一つとしてなかったということ。
全てを終わらせてしまったのは、自分自身だと言うこと。

―――否、まだ何も終わっていない。まだ大切なものは喪っていない。後悔など、していない。
それでも何故だろう、こんなに苦しいのは。
泣き出したいほど、切り落とした指が痛むのは一体何故なのだろう。


END.
 

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