□散ってゆく花に恋をした
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 春風の花を散らすと見る夢はさめても胸のさわぐなりけり















 王手、と気の抜けた声が言ったと同時に、桜の花弁がその声の主の頭に舞い落ちてきた。由利鎌之助は苦々しい思いで肩をすくめてみせると、手を伸ばしてその花弁を摘み上げた。筧十蔵は彼の指を一瞥し、ああ、と頷く。その声にもまた、覇気為るものは微塵も伺えなかった。
「ああ、じゃなくてさ。勝ったのならもっと嬉しそうな顔でもしたらどうだ」
 鎌之助は駒を一つずつ並べ直しながら、呆れたように顔をしかめる。珍しく将棋をさしているというのに、この男ときたら、始終仏頂面を改めない。改めないどころか表情一つ変えないのだ。まったく、張り合いがない。
「大っぴらに喜ぶ方が厭味じゃないのかねィ」
「まるでやる気のない奴に負ける方がよっぽど癪に障る」
「面倒な男だねィ」
 その言葉通りに面倒臭そうに息をついた筧をねめつけ、鎌之助は将棋盤を脇へ押し遣った。その動作に退屈だ、と不平が続く。

 今宵は彼等の主君、真田幸村のたっての希望で夕刻から庵を挙げての花見を行なうこととなっていた。鎌之助と筧はその場所取りとして、まだ昼間のうちから蓙(ござ)を片手に、咲き乱れる桜の下へとやってきたのだ。二人の他には根津甚八、猿飛佐助といった面々が遣わされているが、彼等に関しては体よく追い出されたと言って良い。つまみ食いを楽しみとしている二人がいると、弁当作りが捗らないのだ。

「佐助も将棋したい」
 木の枝に足を掛けてぶら下がった佐助が、逆さまのまま言う。彼はぷらぷらと小さく反動をつけて揺れていたが、その度に白い花弁が散ってくる。僅かに顔をしかめて、鎌之助は彼に木の上から降りるようたしなめた。
「将棋と言ったって、サルの場合はまわり将棋だろう。あんなの、将棋をさすうちに入らない」
「だって、本将棋は決まりごとがいっぱいあってむずかしいんだもん。ね、やろうよ。ゆりかま、さっきから負け通しじゃない」
「そういう風に言われたらやりたくなくなる」
 傍らに降り立ってせがむ佐助に、鎌之助はふいっと顔を背けてみせた。
「けち! 意地悪!」
「聞こえないなあ」
 鎌之助は愉快そうにからから笑う。
「お前ら、平和だなあ」
 横合いから呆れたように、それでいてしみじみと口を挟んだのは甚八だ。彼は煎餅をばりばりとやりながら、怠惰にも片肘をついて寝そべっている。忽ち、お前が言える立場か、とやり返す。
「実際のところ、我等が主君は何を考えておられるのかねえ」
「……どういうこと?」
 肩をすくめて見せた甚八の言葉に佐助が首を捻る。鎌之助と筧の視線も彼に向けられた。
「戦に負けて流罪に遇って蟄居してるってのに……のんびりしてるな、と思ってさ」
「だからこそ、なんじゃァねぇのかィ」
 それまで黙っていた筧が息をつく。
「今回の花見が、ただ殿の気まぐれだったンなら、その時は海野ちゃんがたしなめるさね。だがあの方は二つ返事で賛成したろう」
「……確かに、」
「海野ちゃんは、殿が抱え込んでいる鬱憤を晴らしてやりてぇと思ってるんじゃねぇのかねィ。―――悔しくねぇはずはねえから、」 筧の言葉をうけて、誰とはなしに嘆息が漏れた。舞い散る花弁が将棋盤の上に落ちる。
「俺もまだまだだなァ」
 甚八ははにかむように肩をすくめて言った。笑んで頷いた鎌之助が筧を見遣る。
「流石だな、筧。―――ただ海野を付け回してるだけじゃなかったんだな」
「失敬な。誰が付け回してるてぇんだ」
 憮然と顔をしかめる筧に、鎌之助はさてね、と口角を持ち上げた。
 その横で、佐助が不安そうに三人の顔を見渡した。
「……ゆきむらさま、元気になってくれるかな」
「無論」
「そのために、俺たちがいるんじゃあねえか」
 筧と甚八が微笑む。佐助はすぐに安堵したように息をついて、大きく頷いた。

「……あ、」
「ん、どうした、鎌之助?」
 間の抜けた声を上げた鎌之助に、甚八が不思議そうに訊く。鎌之助は小さく笑って、いや、と言い澱んだ。
「こういうのいいな、って思ったんだ。いま、唐突に」
「こういうの、って?」
 きょとんとした佐助が首を傾げる。鎌之助はやけに子供じみたその仕草を目を細めて見た。
「上手く言えないが……みなが、殿の為に生きて―――それを、誇りに思える、『此処』が」
「随分と今更だねィ」
「うん、どうしたんだろうな―――」
 鎌之助は困ったように肩をすくめる。その顔を、佐助がまじまじと覗き込んだ。
「ゆりかま、昔のことでも思い出した?」
「いや……過去を思い出して感傷に浸るなんてことはないよ」
 ただ、
 鎌之助はそう言い差して、やおら頭上の桜を振り仰いだ。蒼い空を覆うように白い花弁が枝の先で揺れている。美しい、と―――ただそれだけを、素直に思った。

「こんなに穏やかな気持ちになったことはないよ。だから私は、今まで生きてきたなかで、今が一番幸せなのだと思う」
「……そっか」

 甚八が至極嬉しそうに笑んだ。
「今宵の宴が楽しみだな」
 幸村もこの場所に来れば、この桜木を見れば、きっと同じ気持ちを抱くに違いない。

 しあわせだ、と

 あの優しい笑顔で言ってくれたならば、今宵の酒はまた格別になるだろう。
 想い、鎌之助はこっそり、相好を崩した。














―――了.





40000打御礼・藤村さまへ

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