□彼のくつの話
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(彼のくつの話)

 ジェームズ・ポッターは、自他共に認めるグリフィンドール寮の顔である。積み重ねてきた素行の問題から監督生でこそないものの、学業成績は頗る良好、クィディッチをやらせたら天才シーカーの名声を欲しいままにするほどの腕前で、プロリーグからのオファーも夢ではないと囁かれている。容姿も友人のシリウス・ブラックには及ばないが、一般的な価値観で見て整っている方であり、特に榛色の髪の毛をいつもくしゃっとあえて乱れさせて「箒から降りてきたばかりの無造作な様子」を装うなど、彼なりのこだわりもある。ラフな服装を好む彼のシャツはいつでもズボンの中に収まってはいないし、靴もまた泥だらけのままにしていることが多い。それが不思議と汚らしく見えないのも彼の特長の一つだ。もっとも、ポッター家と言えば、それなりに名のある家筋だから、履いている靴自体は非常に質の良いものでる(と、リーマスはかつてシリウスに聞いたことがある。魔法使いの中でもトップクラスの名家の出身であるシリウスは、そういう知識を豊富に持っている)。
 そして何より、一見無邪気な笑顔は人の目を引きつけ、彼の周りには常に友人が絶えない。
 ジェームズの美点は挙げればきりがない。しかしもちろん彼とて聖人君子ではないから、欠点の五つや六つある。
 そのうちの一つが、今現在繰り広げられているセブルス・スネイプとの耳目を塞ぎたくなるような足の引っ張り合いである。否、彼らの場合足の引っ張り合いと云うには少々度が過ぎた行為も多々ある。そうと言って、どちらか一方が加被害者になるいじめとも位置づけ難く、じゃれあいは最もかけ離れた定義だ。もはや日常の一コマとなったこのタチの悪い応酬を言い表すにふさわしい言葉を探しながら、リーマスは二人のやりとりの傍観に徹していた。
 今日の衝突の原因は、初夏だというのにセブルスが床に引きずるほど丈の長い、しかも黒いローブをきっちり着込んでいる姿をジェームズが見咎めたことだった。放っておけばいいものを、彼はグリフィンドールの顔にしておくには底意地の悪い嫌な笑みを湛えて、セブルスに嘲笑を浴びせたのだった。
 適当に受け流そうとするセブルスに対して二、三の実験中呪文を試し、彼の髪をピンク色のドレッドヘアにしたジェームズは、急に興味をなくしたようにきびすを返した。彼にしては些か手ぬるい攻撃であるが、無論リーマスはセブルスが怪我をすることを望んでいるわけではない。内心ほっとして、尻餅をついているセブルスに手を差し出す。彼はその手を払って、自分に向けて巻き戻し呪文をかけると、そのまま無言で城の方へ歩きだして行ってしまった。リーマスは溜息をつき、先に池の方へ向かったジェームズの後を追った。

     *

 池の畔に座り込んだジェームズは、胡座の上に忍びの地図を載せてなにやらぶつぶつと独り言を言っている最中だった。不気味だなあ、と顔をしかめ、リーマスは中腰で友人の旋毛を覗き込む。
「今度はなにを企んでいるの」
「人聞きの悪いことを言うなよムーニー。慈善事業さ」
 肩をすくめて胡散臭い言葉を吐きながらも、ジェームズは目線を地図から上げようとはしない。
「あっ、スネイプのやつまたリリーと一緒にいる」
「本当に仲が良いんだね。幼なじみって言ってたっけ」
「ふん、付き合いの長さじゃないんだよ、恋愛って言うのはね。くそ、早くリリーから離れろ、スニベルス!」
「地図に怒鳴ったって仕方ないだろう」
 自らの手で作り出した無機物に対して吠えかかるジェームズの姿に息をついて、リーマスはその隣に腰を下ろした。彼とは親しい付き合いをしている方だと自負しているけれど、時々その意図を推量できないことがある。その点シリウスは彼とは似た者同士だから、目だけで会話していることもある。
「なんだか、同じ所を行ったり来たりしているね」
 ちっとも思惑を話してくれないジェームズに聞かせるでもなく、リーマスは地図に目を落として呟いた。その言葉通り、セブルスとリリーの名は、連れ立って城のあちこちを行きつ戻りつしている。散歩にしては忙しない。
「ムーニー、さっきスニベルスの足下を見たか」
「え?」
 唐突な言葉に、リーマスは首を傾げた。
「あいつさあ、裸足だったんだよ。たぶん、それを隠すためにローブを着てた」
 ジェームズの言葉に、リーマスは先程の情景を思い浮かべてみる。言われてみれば、セブルスの動きは妙にぎこちなかったような気がする。それと同時に、胸のつかえが取れた。
「だから手加減したの?」
「僕は弱い者いじめはしない主義なんだ」
 どの口がそんなことを言うのだろう。リーマスはジェームズの少しかさついた唇を見て眉をしかめた。そんな非難の眼差しをものともせずに、彼は言葉を続ける。
「だってカッコワルイからね。だけど、中には姑息な手を使ってこっそり憎しみを晴らそうとするやつもいるわけだ。はああ、なんと嘆かわしいことだろう! 願わくは、そういう卑怯者が我が寮の生徒ではないと良いのだけれど」
「誰かが、セブルスを恨んで彼の靴をどこかに隠したということ?」
「恨みだか憎しみだか苛立ちだかはしらないけどな。まあ、その気持ちは分からないでもないけど、それでもこういう情けない手口は同意しかねる」
「君は、どっちの味方なんだい」
 呆れた物言いのリーマスに、ジェームズは胸を張っていけしゃあしゃあと答えた。
「もちろん、正義の味方さ」
「なんだいそれ」
「スネイプのことは気に食わないけれど、いつまでもリリーの手を煩わせるわけにはいかないだろ。だから僕が見つけてやって、一刻も早く囚われのリリー嬢をあのなきみそ野郎から解放して差し上げるのさ」
 すっかりナイト気分で言うジェームズが未だにリリーにデートの誘いを断られ続けていることはリーマスもよく知っている。普段であればここでその事実を補足し、友人の失恋の痛手が最小限に済むよう取り計らうところだが、今回はやめておくことにした。代わりに母親さながら慈愛に満ちた視線を榛色の旋毛に送り、くしゃくしゃな髪の毛を更に撫で回す。
「なんだい、いきなり」
「僕、君のそういうところが素敵だと思う」
「もしやリーマス、君は僕のことを口説いているのか?」
 真顔で懸念する友人の額を小突いて、リーマスはセブルスとリリーがまだ探しに行っていない場所を見つけるように促した。

     *

 セブルスが裸足で歩いていることにすぐに気付いたリリーが一緒に靴を探したにもかかわらず、捜索の成果は一向に上がらなかった。広大な城の中を何の当てもなくたった二人で探すこと自体が無謀と言われればそれまでだが、リリーはしかし、この幼なじみが差し伸べた手を取ってくれたことがたまらなく嬉しかった。
 セブルス・スネイプは、やや内向的な性格である。だけれどもそれは表現の仕方が不器用だと言うだけで、思慮深く周囲を観察し、自分で考えきちんとそれを主張できるところは彼の長所だ。幼少期の環境のためか決して他人に多くを望むことはないが、自分自身に対してその向上を志向し続ける姿勢を尊敬する下級生もいるようだ。そのストイックさは、彼の容姿にも表れている。決して気取らないが故にその見た目は多少陰険に見られがちであるが、所定の型どおりに着用している彼の制服はきちんと手入れが行き届いている。そのように誠実な一面を持っているセブルスを、リリーは常々好ましく思っていた。
 だからこそ、彼の所有物が誰かによって意図的に紛失させられたことは決して見逃すことのできない大事件だった。
「リリー、ごめん」
「謝るのは私の方だわ。力になれなくて、本当にごめんなさい」
「そんな、良いんだ! 靴なんかまた買えばいいんだ。それに少し窮屈になってきていたから、そろそろ買い換えようと思っていたところだった」
 努めて明るく振る舞おうとしているセブルスの頬が少しだけ引きつっている。セブルスの家庭の事情も、そして彼がこの間の誕生日に母親から買ってもらったあの靴をとても大切にしていたことも知っているリリーは、ますます肩を落とした。本当のことを言うと、幼なじみの自分の前でくらい無理をしないで欲しいのだが、彼は昔からリリーに心配をかけさせまいとして、余計に自分の気持ちを隠してしまっているような節がある。

 途方に暮れていた二人の前に、回廊の奥の夕暮れから黒い影が駆け寄ってくる。足下までやってきたそれは大型の黒い犬であり、その口には何か中身の入っている茶色い麻の袋をくわえていた。
「こんなところに、犬?」
「禁じられた森から迷い込んできたのかしら」
 二人は互いの顔を見合わせて首を傾げる。一向に動こうとしない彼らを見かねたのか、その突然のちん入者は焦れたように一声吠えた。その拍子に、麻の袋が床に落ちて、ぼこん、と鈍い音を立てる。
「これは……?」
 ひざまづいたセブルスが袋から取り出したのは、黒い革靴だった。
「僕のだ」
「ほんと? 良かった!」
 セブルスの呟きに歓声を上げたリリーは、黒犬の鼻先に顔を近づける。
「あなたが見つけてくれたの? ありがとう!」
「本当に、助かった」
 二人から口々に礼を述べられたその犬は、まるで照れ隠しのようにもう一度吠えて、庭に面した回廊を走って行ってしまった。その先の方で、何やら人の話し声と犬の鳴き声が口論をしているように聞こえたが、それが誰のものであったのか、二人の場所からは分からない。
「おめでとう、セブ」
「ありがとう。君がいてくれたおかげだ」
 セブルスがポケットから灰色の靴下を出しながら、慣れない仕草でぎこちない笑みを見せる。リリーは嬉しそうに首を振って早く靴を履くよう促す。
「……ん?」
 右足を靴の中に入れたセブルスの動きが止まる。リリーが目をしばたいて見ていると、その靴の中から羊皮紙の切れ端が出てきた。
『裸足の貴公子様 この借りは必ず返してもらいますので、悪しからず。 親切な雄鹿と狼より』と書かれている文面に目を落としたセブルスとリリーは、もう一度互いの顔を見合わせて首を傾げた。
「なんだったんだろう、」
「ふふ、裸足の貴公子様ってセブのこと? あなたのファンかしら」
「からかうのはよしてくれ、リリー」
 恥じらいを隠すようにセブルスは憮然としてみせる。幼なじみの反応をを笑みでかわして、リリーは彼の靴に目を落とした。
 ピンとつま先がとがったその黒い革靴は、少し泥が付いているがよく手入れがされている。靴だけではない。彼のローブもネクタイもワイシャツも、毛玉一つついていない。それだけで、彼の誠実な習慣が見て取れた。
「わたし、セブの物を大切にしようとするところが本当に素敵だと思っているの」
「えっ!」
 セブルスの頬がぱっと紅潮する。そんな幼なじみを微笑ましく眺め、リリーは夕食の待つ大広間へと彼を急かした。



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