□兄弟は両の手
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     一


 信幸が、弟・源二郎の使いが参っていると耳にしたのは朝餉の後一刻も経たぬ時だった。内密に火急の報せがあるから直接信幸に目通り願っているという。使いは、源二郎が小姓、穴山小助である。この男のことは、信幸もよく見知っていた。小柄で一見少年かと見紛う童顔だが、槍を遣わせたら右に出る者がないほどの達人である。また、腕が立つだけではなく気遣いの細やかな性質で、源二郎からも大層信を得ている。
 源二郎がその側仕えの従者を使いに寄越すとはただ事ではないと、信幸はすぐに自室へ彼を通すよう近侍に命じた。

   *

 信幸の部屋に招き入れられた小助は、顔を頭巾で覆ったまま深々と平伏した。暫く会っていなかった為か、何やら雰囲気が変わったようにも思える。信幸はその心中をおくびにも出さずに微笑を見せた。
「小助、久しいな。わざわざの徒労、御苦労であった」
「は」
 一際低く頭を下げた小助に、信幸は怪訝な顔をして首を傾げた。
 どうにもこの小助は妙だ。元来人懐こい彼が挨拶の一言も口にせずに押し黙り、あまつさえ信幸の顔を見ようともしない。加えて、主家の者の前に在りながら頭巾を取らないことも小助らしくはないことだ。信幸の知る穴山小助は、至極礼儀正しい男である。
「小助、そなた何故そのような格好のままでいるのだ? どこぞ具合でも悪いのか、」
 言った信幸がその顔を覗き込もうと近寄った時である。
「ふ……、ふふふっ」
 叩頭したままの小助が肩を震わせて妙な声を出したかと思えば、突然腹を抱えて笑い出したのだ。信幸は呆然と弟の小姓の奇怪な様子を眺め、変な物でも食ろうたのだろうかと案じた。―――全く以て、意味が分からず無礼を叱る気も起きぬ。
「こ―――小助……?」
 恐る恐る名を呼ぶ信幸を、小助は顔を上げて頭巾に隠れていない双眸で見た。笑んでいる。それから彼は、覆いを取り去って素顔を晒した。
 そこに現れたのは、弟・源二郎の小姓などではなく―――源二郎その人であった。
「源二!?」
「お久しゅうございます、兄上」
 頓狂な声を上げた信幸に、源二郎は屈託ない笑みを見せ、頭を下げた。
「ふふ、驚かれましたか。私を小助だと信じて疑わなんだでしょう」
「何故お前が此処に……? 上杉はどうしたのだ、」
 矢継ぎ早にまくし立てる信幸は既に冷静さを取り戻している。が、この悪戯好きな弟に「してやられた」苦々しさは残っている。自然、その声が棘を含むのは無理からぬことだ。
「申し訳御座いませぬ。何やら唐突に、兄上の顔が見とうなりまして、居ても立っても居られなくなったのです」
 源二郎はバツが悪そうに肩を落とした。弟のこういった姿に、信幸は幼少の頃から弱い。深い溜め息をついて、源二郎の前に腰を下ろした。







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