□或る忠臣の受難
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 一.


 規則正しさをもって、包丁で何かを切る音がしていた。音質からして、大根か……人参。味噌汁の具はここ数日間前者だったから、恐らく今朝もそうなのだろう。共に聞こえてくる野菜を煮付ける音だとか、飯を炊く音だとかをひっくるめて、食事を用意する音が好きだった。
 変わりなく訪れた朝、いつもと変わらず鎌之助と稽古を済ませた後に聴くその音は、擽ったさを感じさせる。ああ、今日も生きていた、なんて当たり前のことを思えば、擽ったさはいよいよ全身に広がる。これが幸せということだろうか。―――こんなことを考えていると周りに知れたら必ず馬鹿にされるだろうから口には出さないけれども。


「甚さん、由利さん、おはようございます」
 手を離せないのか振り返らず言う小助に、俺と鎌之助の声が重なる。足音だけでそれが誰のものなのか聴き分ける彼は、やはり流石というべきだろう。いつも人一倍周囲に気を配る小助だからこそ成せる業だ。
 彼は忙しげにもう少し待っていてくださいね、と詫びる。そう言えば、常ならば小助と共に朝飯の支度をしている男の姿が見当たらない。あの男に限って寝坊では先ずないし、まして小助一人に十数人分の食事を押し付けるような無責任な人間でもないはずだ。
 いぶかしんでその旨を問うと、小助はそこではじめて大根を切る手を止めて、此方を振り返った。
「最近寝付きが悪いと言っていたのでまだ寝かせておこうと思ったんですけど……さすがに遅いですね」
「寝付きが悪いって……どこか体調でも悪いのかい、海野の奴」
「疲れすぎ、かもしれません。六はあれでいて繊細ですからね」
 俺たちは顔を見合わせて苦笑を交わした。我等が軍師、海野六郎は小助の言う通り繊細、神経質、生真面目が三拍子揃った堅物である。その上、胃痛と頭痛が無二の親友だという。俺が言うのも何だが、この庵には一筋縄ではいかないような奴らばかりが集っている。そのことも彼の胃痛の種になっているに違いない。
「私たちが起こして来ようか? そろそろ朝飯も出来るんだろう?」
「えぇ、すみませんがよろしくお願いします」
 鎌之助の言葉に済まなそうに頷く小助に、俺はひらひら手を振って台所を出た。迷惑だとは微塵も思わない。寧ろ、あの自他共に(例外として、主君にはそれこそ砂を吐くほど甘いが)厳しい男なのでそのだらしない寝顔を拝見、と言う機会にはそうそうお目にかからない。それだけに、怖い物見たさならぬ珍獣見たさが、物臭に勝った。
 それは鎌之助も同様であるようだ。自然、目的地へ向かう足取りも軽くなる。
 さすがは相棒。
 俺はにやりと口角を持ち上げて、歩を早めた。












続。
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