□神のいないオラトリオ
1ページ/5ページ


     1

 僕は、ずっと昔からシリウス・ブラックに憧れていた。崇高なる純血、魔法界でも屈指の名門ブラック家の、高貴なるご長男様。シリウスは、家柄に加えて容姿・能力のどれをとっても一流だ。
 そんな彼がグリフィンドール寮になるなんてまさか思ってもいなかった。―――もちろんそれは、僕自身にも言えることだが。奇跡か、神様の気まぐれかは知らないけれど僕と彼はこうして同じ寮の、同じ部屋で寝食を共にすることになったのだ。
 シリウスはいつでも気怠げで高慢ちきで、口が悪くて、だけどもそう言った仕種がたまらなくかっこよく魅力的だった。もちろん取っ付き難さはあったし実際怖かったけれど、それ以上に僕はシリウスの側に居て、同じものを見たいと思っていた。

 そのシリウスが、『秘密の守り人』に僕を推してくれたのである。例のあの人に狙われている僕らの親友、ジェームズとリリーが隠れ住む場所を唯一知る人物―――それが、守り人だ。ジェームズはそれに大の親友であるシリウスを据えていたが、シリウスが辞退し、代わりに僕の名を挙げたのである。
 その話を聞かされた時、僕は数秒硬直してしまうほど驚き慌てた。なぜなら僕は、シリウスやジェームズのように優秀ではないし、(なぜグリフィンドール寮に入れたのかというほど)勇敢さからは遠く及ばない存在であったからだ。
 もちろん即座に断った僕に、シリウスは頭を下げてくれた。―――守り人に相応しい人間はお前しかいないと。
 彼と共に過ごした7年間のうち一度たりともこうしてシリウスが僕に頼みごとをしたことはなかった。それはもちろんシリウスが僕の助けなんかなくても何でも出来たからだ。僕はむしろ、シリウスやジェームズたちのお荷物だった。いつでも助けられてきたのは僕の方だ。
 だから、僕はとても嬉しかったのである。迷惑だと思って生きてきた僕の存在が、初めてシリウスたちの役に立てるのだと思えた。もちろん途方もない恐怖と不安はあったけれど、たとえ守り人を引き受けたことが原因で死んでしまうことになっても悔いはないという、巨大な覚悟がそれを凌駕していた。この瞬間、僕はグリフィンドール寮生としてホグワーツを卒業することで、闇の魔術と対峙するだけの勇気を、知らないうちに手に入れていたのだと確信した。
 必ずやジェームズとリリーを守ろう。必ずやシリウスの期待に応えよう。
 僕は毎晩ベッドに入る前に、そう自分自身に誓っていた。


  *  *  *


 すっかり秋めいてきた10月の終わり頃、僕はシリウスとリーマスに会う約束をしていた。ホッグズ・ヘッドで21時に待ち合わせて、「例のあの人」の動きに対する策を練るのだ。ホッグズ・ヘッドはダンブルドアの弟、アバーフォースが営んでいるパブである。店の最奥、人目につかないボックスはこうした密談をする場としては持ってこいだった。
 僕は夕方にゴドリックの谷のジェームズを訪れ、その無事を確認してからホッグズ・ヘッドへとやって来た。時計をみると、まだ20時30分を回ったばかりである。少し早いが先に席で待っていようと足を進めた僕の耳に、話し声が飛び込んできた。いつも時間を守らないシリウスが、珍しく既に到着しているようだ。僕は素早く外套を脱いで声をかけようとしたが、その言葉は発することなく喉にとどまる。不意に、二人の会話の中身が聞こえてしまったのだ。

「でも驚いたな。君がジェームズとリリーの守り人を蹴るなんて」
 最初に聞こえてきたのは、リーマスのゆったりとした声だった。優しい彼の性格をそのまま音にしたような彼のこの声が、僕は学生の頃からとても好きだ。
「うん、他の奴らにも言われたよ」
 ふふ、と含み笑いを漏らすシリウスは何やら上機嫌だった。僕は思わず足を止めて二人の声に耳を澄ませる。
「君のことだから何か企んでいるんだろう」
「なんだよ、人聞きが悪いな」
 冗談めかしたリーマスの言葉を憮然と拾ったシリウスは、すぐに笑声をこぼした。
「死喰い人たちだってまさかあんなワームテールを守り人にするとは考えないだろう」
「その裏をかいた、と?」
「ああ。あいつには俺達を裏切る勇気もないだろうからな。最も適任って訳さ」
 嘲笑を含んだシリウスの声に、僕の身体は石化呪文をかけられたように強張った。喉がひどく乾いて声が出ない。いつもの倍以上瞬いて何とか落とした視線の先で、僕の両手は自分のものとは思えないほど震えていた。
 僕は、何を浮かれていたのだろう。シリウスが僕なんかを当てにするはずがないことは、学生時代から分かっていたことだ。冷静に考えれば分かることだった。
 裏切られた―――そんなことを考えてはいけない。そう自身に言い聞かせても、手の震えはなかなか止められそうにない。
 引き攣る喉で何とか唾を飲み込んで、僕は二人に気付かれないようにその場を立ち去った。










.

次へ

[戻る]
[TOPへ]

[しおり]






カスタマイズ