□【牡丹】
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 本日の獲物は山道を賑々しく歩いていた豪商の若旦那だ。太兵衛と銀次がちょっと気色ばむ素振りを見せただけで金品を置いて行った。
 鎌之助が来て、こういう楽な仕事が増えた。酒をやらず、笑いながら牡丹を喰らう頭を見ながら思う。この美しい男は、生まれながらに頭領の素質を持っていたに違いない。それほどに、誰が見ても鎌之助の采配は素晴らしいものだった。
 かつて唇に紅を掃き、女装をした少年がこの山を訪れた時にはいい鴨が来た、とほくそ笑んだものだ。それがどうだ、少年は今や立派な頭領へと成長し、剰えこの山にとって、なくてはならない存在になっている。無論悪行も大いに働いた。だのにちっともその光が曇らぬのは何故だろう。
 俺には、いつも彼が眩しくてならない。

「私が憎いか、佐治郎」
 不意に猪肉から顔を上げた鎌之助は、そういって口角を持ち上げる。突然振られた言葉の意味は俄かに解し難く、俺は頓狂な声を上げてその美しい細面を見返した。
「……ハ、何だ薮から棒に」
「恐い顔をして私を睨んでいただろう」
「俺の顔が恐ェのは生れつきだ」
「ふふ、下手くそな言い訳だな」
 俺の言い分を全く取り合う様子もなく肩を竦めた鎌之助は、食んでいた牡丹の残骸を放ったその手で懐紙を取り出し、口元を拭う。粗野な挙動の端々に顔を出すそういった妙に上品な仕種は、ひどい不整合を抱かせる。鎌之助自身は、それに気付いていないのだろうが。
 鎌之助は己の身の上をあまり話したがらない。きっと良いところの生まれだと思う。他に兄弟が在れば良いが、この跳ねっ返りが嫡男ならば親はさぞかし手を焼くことだろう。
「心配しなくても、探している男が見つかったら山を下りる」
 したり顔で言ってのける鎌之助に、俺は心中溜め息をつく。まさか俺の心配の矛先が己の生家に向いているとは思うまい。
「山を下りてどうするって言うんだ。堅気に戻るのか」
「さてねぇ。ああでも、ちゃあんとあんたが頭に返り咲けるように、手は回してやる」
「そりゃあ、ご苦労なこった」
 鎌之助は時々、相手の深意を汲み取れないことがある。そういうところは、やはりまだ歳相応に稚い。
「……根津某、といったか」
「ああ。なかなか尻尾ださねぇなあ」
「そうだなア、」
 本当は、既に俺がその男の所在を掴んでいることを知ったら鎌之助は怒るだろうか。―――怒るだろう。みっともねえ真似をするなと言って、或いは無駄足を踏ませるなと言って、撲られるに違いない。分かりきったことだ。詳しいことは知らないが、鎌之助はその男の所在を求めて家を出奔してきたのだというから、何か本当に会いたい理由があるのだろう。
 鎌之助が望むことならば何でも叶えてやりたいと思う。小生意気なところもあるが、大事な頭領である。それでも、このことばかりは決して言わないつもりだ。

「お嬢、明日も牡丹、喰わせてやるよ」
 好きだろう、と聞くと鎌之助は少しばかり憮然とした表情を見せて頷いた。
「あんたは誰より牡丹が似合う」
「話を逸らしやがって。褒め言葉にもなってねぇぞ」
「何のことやら」
 嘯き、この聡明な男を一体いつまで手元に置いておけることやらと俺は冷や汗を拭った。









【牡丹(ボタン)】
@花言葉:「王者の風格」
Aイノシシの肉の通称





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