□夜話
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「私たちも、もう三十年来の知り合いなのだねぇ」
 酒をやりながら出し抜けに呟いた小助の言葉に、二人は視線を彼へと向けた。底抜けに酒が強い小助だが、今宵は杯がなかなか乾かなかった。心は遥かな往時を漂っているらしい。
「よくもまあ、飽きもせずにやってこれたものだよ」
「飽きる飽きないの問題ではなかろう」
 怪訝そうに顔をしかめた海野は温くなった茶を啜る。下戸である彼は、酒の席であっても茶のみでやり過ごすことが常である。若い時分こそは無理をしてでも周囲に付き合おうとしていたものだが、三十を超えた今ではそのような無茶をすることはない。幼い頃よりの付き合いである小助と望月も、その辺りはよく弁えている。
「そうだけれどね。六の眉間に皺が増えたくらいで、ちっとも代わり映えがないじゃないか、私たち」
「なんだと、」
「また皺がよっているぞ」
「やめろ、」
 顔をしかめた途端、眉間に指を当てて揉もうとする望月の手を躱して海野が憮然と声を上げる。望月も大分酔っているようだが、如何せんこの男の顔色は相変わらず白く、表情も無いままなのだから性質が悪い。焚き付けた当の小助はにやにやと笑みながらじゃれ合う二人の姿を眺めている。
「ねえ六。おまえ所帯を持つ気はないのかい」
「はあ? 唐突に何だ」
「唐突なものか。三十も半ばになれば、普通の男子(おのこ)は子の三人や四人、いてもおかしくないだろう? ねえ、六郎」
「だが、相手が筧では子も為せまい」
 話を振られた望月は至極真面目な顔を作ってそう言ってのける。瞬間飛んできた海野の拳はきっちり避けた。
「気色の悪いことを言うな。何故そこであの男の名が出てくる」
「それを聞くのか」
「誤解だ!」
「火の無い所に煙は立つまい。あれだけ仲睦まじくしておきながら、」
「邪推するな、有り得ない!」
 本当に真っ青な顔になって叫ぶなり、海野は小助の杯を奪って一息に酒を煽った。これには傍観を決め込んでいた小助も眉を顰めて窘める。
「六」
「そういうお前たちこそどうなのだ」
「嫌だなあ、私と六郎こそそんな関係じゃないよ。邪推しないでくれ、六」
「ええい、そこから離れろ!」
 声を荒げた海野は、それからうんざりしたように息をついた。その姿をやはり笑顔で眺めながら、小助も息を漏らす。
「思えば、これまでおなごに惚れる暇もない日々だったからねぇ」
「……暇がなかったのではなく、努めてそうするつもりがなかったのではないか。女遊びをすることもなかっただろう」
「はは、私は才蔵さんや清海さんのようにはなれないなあ」
「悪所通いなど、不埒の極みだ」
「六はお堅すぎるけれどねぇ」
「さもありなん」
 しかつめらしく頷く小助の言葉に、望月は相好を崩した。何とでも言え、と息をついた海野にも機嫌を損ねた様子は見えない。
「もし五十や六十になってもこのままだったらどうしよう」
「それも良いのではないか」
 ふ、と含み笑いを漏らしながら言った望月は、二人を見比べて続ける。
「私は不老不死の化け物ゆえ、お前たちの面倒をいつまででも見てやろう」
 望月の言葉に、海野と小助は無言のうちに顔を見合わせた。
 望月は生まれながらに白銀色の頭髪を有していた。年齢にそぐわぬその色は、幼い頃にはこの男を苦しめることも多々あった。それがゆえ、時折こうして自虐の言葉を吐くことがある。こういう時、決まって海野は厭な顔をするが、その言葉を論うことはしない。それは望月が半ば本気でそういうことを言っていることを知っているからだ。
「この中で最も甲斐性がないお前が世話をするだと。私たちを殺す気か」
「六は相変わらず可愛いげがない」
「ふふ、でも、私も六郎に世話をされるのは少し怖い気がするなあ」
 取り合おうとしない二人に、望月は僅かばかり眉根を寄せて、鼻を鳴らした。今宵のように大いに酒が入っている時ばかりしか見ることのできない姿である。
「ならば世話などしてやらん。早く嫁でもなんでも見付けるが良い」
「それが出来ないって話だったじゃないか!」
 小助が大仰に呆れてみせると、自然笑いがその場に伝播する。心地好い陶酔の空気だ。
「ああ、なんだ、酷いな。会話が支離滅裂だ」
「そういう六も相当酔っているじゃないか」
「そうとも。明日が恐ろしい」
「六は酒が弱いから。……まあでも、」
 言い止した小助は、新しく湯を入れ直した急須を差し出した。
「明日の心配は明日に、ね」
 海野は観念したように溜め息を一つ漏らし、茶碗を手に取って急須の口に宛がった。
 穏やかな酔いの夜は静かに更けてゆく。







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