□紫蘭の誓い
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 頭(かしら)を出せ、と冷ややかな視線を人相の悪い男達に向けたその子供の表情を、未だ覚えている。
 幼さを残す声が、微塵の感情も含んでいなかったことを、未だ覚えている。
 十五という若さ、否幼さで粗暴な輩を纏め上げ、引き付け従えたその子供が何故山賊などという立場に身をやつしたのか、仲間内で知る者は一人としていないだろう。その笑顔がいつも、『作り物』であった理由を誰一人として知らなかったのと同様に。
 そして突然現れ山を手中に納めたその子供は、突然何もかも棄てて、山を降りてしまった。台風のような存在だった。さんざ振り回された男達は、しかし未だにその子供を慕い、時折思い出したように話題に登らせては、その無事を願っている。―――その子供が、否、我等が誇りの頭(かしら)が山を降りたのは、もう十年も昔のことである。

+++紫蘭の誓い+++


 ひと仕事終えて紀伊山中に入ったのは、もう陽が傾き出した頃であった。頭(かしら)の使いで稼ぎをしつつ、高野詣でをすると言って聞かない相棒に負けてわざわざ遠回りをしたのである。人様の厄介なお荷物に成りながら生きているのはこの相棒も俺も同様、信心の欠片も持たないと
いうのもまた然り。そうにも関わらず、この男が一体何故参詣に思い至ったのだろうかと、俺は首を傾げずにはいられなかった。
「銀二。お前、なんだっていきなり高野詣でなんかしたいなんて言い出したんだ?」
「別に他意はない」
「他意じゃなくて本意を聞いてるんだが、なあ」
「何となくだって。近くを通ったついで?」
「近くもなければついででもなかった気がするんだが」
 山賊の癖に地理的感覚がまったく備わっていない相棒に、呆れを通り越して頭痛さえ感じる。銀二に付き合わされることが最早日常茶飯事になっていて、ともすれば何も感じなくなってしまいそうになることが、目下の悩みである。人としての礼儀だの道徳だのは固より持ち合わせがないが、其れだけは何としてでも避けなければなるまいと思っている―――人間として。
「あーあ、なんか疲れたなァ。何か美味いもんが食いたい」
「疲れたのは何処のどいつのせいだ」
「なあっ太兵衛! その辺で団子でも食ってこうぜ」
「だからな、銀。こんな山奥の何処に茶屋があるってんだよ」
 くるくると表情を巡らせては思い付きを口にする銀二に、自然、俺の語気は弱まる―――呆れのせいで。それもそのはずで、木々が鬱蒼と茂り
、まるで獣道のような道しかないこの場所に、茶屋などが都合よくあろうはずもない。俺達二人の他には誰もいないような場所だ―――
「……あ、誰か来る」
 ふつっと空を仰いだ銀二に、俺も周囲を見渡した。道から外れて木々に身を隠すと、俺達が歩いていた所から1町ほど離れて、男女の姿が見える。
 男の方は武士らしく、髷こそ結ってはいないが藍の小袖をきっちりと着込んで、腰には大小を差している。一方女は、眩しいばかりの紅を纏い、白い肌がなんともなまめかしく輝いている。顔を薄い布(絹だろうか?)で覆っているために拝顔することはかなわないが、あれはきっと上玉だ。
 彼等は、何やら口論をしている様子であった。
「こんな山奥を散歩かあ?」
「いやいや、あれだろ、駆け落ちってやつ」
 訝る俺に弾んだ声で答えて、銀二ががばりと立ち上がった。
「あの女、土産にして帰ろうぜ」
「いいねえ」
 外道だと責められようが、俺達は山賊である。悪事を働くことに、何ら罪悪感を抱く必要はない。







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