□あふなし
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「なあ、お前を喰ろうたら美味いだろうか」
「……腹が空いておいでで? 里から人を拐って来ましょうか」
 ごろりと腕を付いて己れを伺った刹鬼の言葉に、天狗は事も無げに言って腰を浮かせる。
 いや、いや、とゆるく頭(かぶり)を振った刹鬼は、おまえじゃ、と天狗を顎でしゃくって見せた。天狗が聊か呆れたように眉根を寄せるのを認めて、
「ひと では無うてお前をな、喰ろうたら美味いかと思うて、な」
「不味うございましょう。わたくしは人のように肉(しし)付いておりませぬゆえ」
「うん、だがお前は通力を持っているゆえ、美味いかも知れぬぞ」
「通力なれば主様もお持ちでしょう」
 一旦浮かせた腰を再び冷たい床の上に下ろした天狗は、下らない、と言わんばかりに刹鬼の問掛けを一蹴した。刹鬼は其れを別段不快とするでもなく、だけれど詰まらなさそうに目を眇て、ごろり、とまた床の上に転がる。見かねた天狗が冷とうございますよ、と手を差し出した。
 人間と大差のない容姿(其れは刹鬼とて同じなのだが)、その手の平は病的に、白い。刹鬼はその手を常から美しいと思っていた。―――裏返して甲の方は節張っていてあまり美味そうではない。
 その手を取って半身を起こす代わりに、がぶりとやった。
「……主様、」
 少しだけ痛そうに顔をしかめた天狗は手を主の口から引き抜こうとはせずに、呆れた声音をつくる。つまらぬ反応じゃ、と刹鬼が胸中独りごちるのをたしなめているようでもあった。
「―――ぬしさま、」
「……んん?」
「それほどわたくしを御所望で?」
 淡白な声はさして興味が無さそうに問う。刹鬼は目を細めて頷いて見せた。
「―――左様で、」
 天狗はそれだけ答えるとすぐに目を読んでいた書物に戻した。
 面白くないのう。刹鬼は眉根を寄せる。この天狗はいつも刹鬼の言葉に素直に従うのだ。人間ではあるまいし、それでは面白味がまるで無い。
 そういった思惑を込めて睨み上げても、天狗は涼しい顔をして気付かずにいる。刹鬼は悔しさを紛らせるように、依然くわえたままだった彼の手を噛む歯に力を込めた。
 みしり、と骨が軋む音がして、血が滲んでくる。そこで再び、今度は僅かばかり焦ったように、天狗は声を上げた。
「のぶしげさまっ」
「―――おや、めずらしい」
「戯れが過ぎまするぞ。まことに、わたくしを喰らうおつもりですか」
「今、お前我が真名を呼んだな」
 天狗の問いには答えずに、刹鬼が愉快そうに笑う。
「これは……失礼を、」
「構わぬ。お前いつも要らぬ遠慮をしておるゆえ」
「あなた様の御名は高貴に御座居ますれば」
「高貴なものか」
 自嘲をした刹鬼を振り返って、天狗は静かに目を細めた。
「主様はお優しゅうございますゆえ……人の言葉など、気になさらねば良いものを」
「六のように強うはなれぬわ」
 六、と名を呼ばれた天狗はびくりと背を伸ばして刹鬼を見つめ返す。
「ぬしさま……、」
 刹鬼が血の色をした唇を歪めた。それから噛んでいた天狗の手を解放して微笑む。
「お前を喰らうのはやめよう。―――ひとりは、寂しいゆえ」
 言いながらくたりと頭を床に落とした刹鬼に静かに視線を移して、天狗はただ、主の疲労したように歪んだ横顔を見つめていた。











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刹鬼は人を喰らう凶悪な鬼。幸村さまとはあまり結びつかないですが、あえての選択。刹鬼は山の主。天狗とかを従えてます

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