□愛憎の果て
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 才蔵は昔から、扱い難い子供であった。
 父上がどこからとなく連れてきた金髪碧眼の子供。言葉も知らず無表情で、いつも俯いて黙っている子供だった。作り物のようにその見目は美しかったが、我らに心を閉ざすその得体の知れぬ「よそ者」を、里の者は皆腫れ物に触れるかのように接していた。―――今思えば、我らもどうしたらよいのやら分からなかったのだろう。無論、見目珍しいが故の嫌悪感も確かにあった。それゆえ、何処の馬の骨とも知らぬ子を唐突に連れてきて、あまつさえ己が息子として育てると言い出した父上には、随分と抗うたものよ。
 才蔵ははじめのうちは誰とも、一応は家族と成った我ら兄弟とさえも話をしなかったが、己を育ててくれる父上は恩人と認めているように見えて、僅かに笑みを見せるようにもなった。多少なりとも懐いてくる才蔵を、父上が可愛がっていたのは我等の目にも明らかなことであった。父上は代々続く「半蔵」の名から一字取り、「才蔵」と名付け、伊賀の技を教え込んだ。―――正直な所、我ら兄弟にとって、否、俺にとって、才蔵の存在は脅威だった―――あやつは歩くがの如く技を操り、息をするかの如く当たり前に伊賀の忍び為るのだ。愚かなことと嘲笑う(わらう)だろうが、俺は才蔵に伊賀忍軍頭領の座を奪われることを恐れていた。あやつにそのような気は毛頭無いことを知っておりながら、俺は恐ろしかったのだ。
 才蔵はと言えば、相も変わらず里の者たちと決して馴れ合おうとせず、しかしそれでも、父上がご存命のうちは黙々と務めを果たしていた。この頃であったな、確か、あやつが『霧隠』の二つ名で呼ばれるようになったのは。だが、才蔵は霧遁ばかりに長けていたのではない。如何なる仕事であろうと決してし損じず、とりわけ、暗殺の的確さにおいては右に出る者はおらなんだ。
 やがて父上が亡くなり、俺は伊賀の頭領を任された。才蔵は二つ名であった霧隠を姓として使うようになり、仕事を引き受ける際も女や酒など色々の条件を付けはじめた。―――あやつからしてみれば、『服部半蔵』は父上唯一人なのだ、俺が半蔵を名乗るのはさぞかし堪え難き事だったのだろう。あれやこれやと難題を吹き掛けるあやつには全く腹に据えかねたが、才蔵は間違いなく伊賀では随一の腕前。誰よりも役に立つ。俺は何とか働くよう機嫌取りをしたものよ。
 貴殿の弟―――そう、信繁殿の暗殺を持ち掛けた折は、殊更渋い顔をしておったな。……否、信繁殿と知己だったというよりは、貴殿のことを随分と案じていたようだ。何かと声をかけていただいていたとか。忝ない。―――結局、半ば拗ねたように九度山へ行ったきり、才蔵は帰っては来なかった。うまく手なづけられたようだ。……そのように誇らしげな顔をしないでいただきたい。
 無論、幾度となく連れ帰りに足を運んだとも。だが、情けない話だが、あれが穏やかに笑う顔など九度山で初めて見たのだ。随分人間らしい表情をするようになったと思うにつけ、才蔵にとって信繁殿の下が本来在るべき場所であったのではないかと考えるようになった。俺も甘くなったものだ。
 結局才蔵は五月の戦で死んだ。犬死にだったと言ってやりたいが、信繁殿亡き後の世に用は無かろう。忍びでありながら、もののふにかぶれおって。何一つ俺の言うことなどきかぬ愚弟よ。俺は、ついぞあれに愛情など抱かなかった。才蔵も、俺のことなど顧みもしなかったろう。





 一息に語り終えて、正就は溜め息を漏らした。瞳は遠く空を見ている。
「先程お前は愛情などない、と言ったけれどね」
 その姿を見つめて、やおら口を開いた男の声は、穏やかだった。穏やかだが、悲しみに染まっている。彼もまた弟を此度の戦で喪なったのだ。
「それでもお前は、才蔵を愛していたんだ」
「……、」
 男の言葉に、正就はきつく眉根を寄せる。抗議のつもりで、あった。
「たとえ血が繋がらぬとて、たとえ敵味方に別れたとて、亡くした悲しみを感じぬはずがない。なぜならお前は心より才蔵を案じ、向き合い、歩み寄ろうとしてきたのだからね」
 男―――真田信之は、そっと笑んで目を閉じた。微かに震えるそれから雫が落ちることはないが、それが却って痛ましい。涙など、とうに枯れ果ててしまったかのように見えた。
「そのように大切な義弟を我が信繁の生き方に巻き込んでしまったこと、まことに申し訳なく思う。才蔵はあれで根が優しい子だからね、見捨てることなど出来なかったのだろう」
「……才蔵は、腐っても伊賀の人間。情に流されることはない。それでもあの世まで随って逝ったのは、すべて信繁殿の人徳だ」
「そう言って貰えると、救われるな」
 息をつく信之に、正就もぎこちなく表情を緩めた。
「俺は、才蔵の判断が、間違うていたようには思えぬ」
「ああ」
「―――まして信繁殿の生き方を、どうして否定することが出来よう。あのような男を主君とできた才蔵を、どんなに羨望していたか分からぬ」
「ああ、」
 信之がつ、と目頭に手を遣って相槌とも吐息とつかぬ声を上げた。正就も視線を落とす。

「のう、半蔵」
「はい」
「主と話が出来て、よかった」

 顔を手で覆ったまま呟く信之の声は、わずか湿っている。それを聞くにつけても、あの愚弟がどれほど幸福だったのか想い馳せずに居られなくなる。
 俺もだ、と頷き、正就は黙祷を捧げるように、ゆるく瞑目した。



―――才蔵は本当に、昔から、扱い難い弟であった。













―――了。

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