□知る者などいない
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(柳さまへ/55000打キリリク)





 物心がついた時には、ソレたちはごく自然に望月の視界の中に在った。ソレが常人には見えざるモノで、視えてはならぬモノだと知ったのは、七つを数えた折のことである。人の子供は七つ前までは神と人の間の存在と云う。それゆえ、人ならざるモノを視ることも何ら珍しいことではない。しかし成長して世の理を知るにつれて、人は理から外れたソレらを視ることが出来なくなる。否、理性がソレらを拒む為に、視えなくなるのだ。だから、望月は多分に特異なる存在であった。
 三十路を過ぎた今でも、彼の双眸は確かにソレらを捉えている。







 夏の暑さを紛らす為だと言って、その日真田庵では住人たちがこぞって怪談を語り合っていた。そんなことをしたところで互いの額を寄せ合いながら話していたのでは逆に暑く感じられそうだが、住人たちはめげない。律儀にも「視える」望月をその場に担ぎ上げてまで、なんとか涼を得ようとしている。無論望月は彼等の頼みを「面倒だ」、と一言のうちに一蹴したのだが。普段より付き合いの悪い男だが、夏はそれがより顕著になる。己の部屋に戻ることさえ億劫であると見えて、皆が丸くなっている所から少し離れて、ごろりと横になっていた。鎌之助曰く「仕様のない奴」だが、その仕様のなさのおかげで彼等の怪談はぼちぼち在庫が尽き、一人また一人と自室へ戻ってゆく。残ったのはこの部屋の主である俺と、甚八と、それから横たわったままの望月だけだった。
 怪談やら肝試しやら、そのテのものがからきし駄目な甚八があの輪の中に居たことさえ驚くべきことであるが、それよりも鎌之助と共に戻らなかったことの方が珍しい。酒瓶を片手に直接それに口をつけて飲んでいた甚八は、やおら立ち上がって望月の側に歩み寄った。背を向けて横になっている望月に声をかけるその姿もまた、珍しい。望月がそれに応えないのは平生のことであるが。
「訊きてぇ事があるんだが」
「……」
「六郎はさ、子供の頃から『視えた』んだろ?」
「……ああ」
「じゃあ何で、昔は『そう』だって言わなかったんだよ」
 甚八と望月は、子供の頃からの知己だ。驚いたことに。そのような素振りを見せないばかりか、二人が言葉を交わしていることさえ稀なことであるが。
「言っても詮ないことだ」
 望月の淡々とした受け答えに、甚八は満足していないようだ。眉根を寄せて、言葉を探すように唸る。
「……見ているものが、……その、人間じゃないものかどうかっての、どうやって見分けるんだ」
「どうやっても何も、すべてが異なっているからな。アレたちは人が持たざる独特の気配を持っている」
「怖くないのか、」
「何が」
「だから、そういうのが見えて、だよっ!」
 甚八が焦れたように声を上げると、そこではじめて望月は起き上がって彼の方を振り返った。僅か甚八の肩が震える。望月の口角が、愉快そうに持ち上がった。

「怖くなどない。アレたちは所詮この世のモノではないからな」
「……だから怖ぇんじゃないか、」
「怖いはずがあるものか。この世のすべての生き物の最大の武器は『生』だ。それを持たぬということは言わば丸腰でいるようなもの。何を恐れる必要がある」
 それは、普段無口な男の言葉だけに、異様な力を持っていた。望月がこれほど饒舌なのは実に珍しい。不自然なほどに。けれど甚八は、その言葉に何やら勇気づけられたらしく、「そうかそうか」と何度も頷いて、上機嫌に部屋を出て行った。彼なりに何か思うところがあったらしい。







 甚八の後に次いで部屋を出ていこうとする望月を、俺は小さく呼び止めた。望月は面倒臭いと言わんばかりに盛大に顔をしかめたが、無言でその場に座り直す。切れ長の瞳がこちらを睨んで、言外に早くしろと促している。
「言わないのか、あいつに」
「……、」
「甚八は薄々何かしらを感じ取っているんだろう。だから、あんなことを訊いた」
 望月は息をつく。
「……言っても詮ないことだ、」
「それはあんたなりの優しさか?」
「馬鹿なことを。アレたちは所詮、生きている者に手出しなど出来ん。それが、甚のように『生』の塊のような男には尚更だ」
 望月の語調は険しい。されど、それは俺に対する牽制が為であることは、容易に想定できた。余計なことを言うな、と。
 望月がアレ等を視ることが出来るのは、恐らく先天的な能力なのだろう。ごく偶に、そういう人間がいるときいたことがある。
「『怖れ』はアレたちに付け入る隙を与える。ならば、それを増長するようなことを言うのは、賢明ではなかろう」
 修行によりアレ等を視るようになった俺よりも遥かに強い力を望月は持っているし、己を守る術を知っているのだろう。俺に出来るのは、アレたちを調伏することだけだ。働きかけずに回避する術など、持ってはいない。
 俺は小さく頷いて僅か視線を望月の背後に移した。彼の背には何やら黒いモノたちが大勢うごめいている。アレは、望月が戦で命を奪ったモノたちだ。もちろん望月だけではなくて俺の背にも憑いているし、信繁様にさえ、憑いている。そして甚八にも。
 望月がそれを知りながら素知らぬ振りをするというのならば、俺もそれに倣うより他ない。他人に頓着しない男の、数少ない執着である。


 今はまだ、彼の意趣の通りにしておきたかった。











などいない
(おまえと俺の他には、誰一人として)

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