□臥薪嘗胆
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「如何にございましたか……?」
 思案顔で問うてくる海野に首を横に振ってみせた源次郎は、息をついて悄然と膝を折った。そうでございましたか、と答える海野の声も萎れている。
 源次郎が父・真田昌幸の上杉景勝への忠心の証として春日山の地を踏んでから、随分と日が経った。此の度、源次郎が率いてきた幾許かの家臣たちは上杉家中の兵と共に出陣することが決まった。しかし何故か、当の源次郎の従軍が赦されぬのである。
 源次郎は当年とって既に十九に成る。しかしながら初陣はおろか元服さえまだ済ましていない。それゆえ源次郎も、海野も、此度の戦が源次郎の初陣になると予想していたのである。しかしながら蓋を開けてみれば、家臣は出陣するにも関わらず源次郎は城に残れという沙汰が下された。当然源次郎は上杉景勝に理由を問い、出陣を赦してくれるよう掛け合ったが、景勝は否と首を横に振るばかりである。
 今日とて源次郎は景勝の右腕、直江兼続に執り成しを頼みこんだが、芳しい答えを得ることはできなかった。
「なにゆえ私はならぬのだ」
 着込んだ羽織りを乱暴に脱いだ源次郎は、苛立つのに任せて海野の方へ放り投げた。それを受け取った海野は困ったように眉尻を落とす。
「大切な人質ゆえ、若に死なれては困るのでしょう」
「いや、いつ出奔するとも知れぬと持て余しているのやもしれぬ」
「そのような、」
 辺りを気にかける素振りを見せる海野に、源次郎は気を沈めるように深く溜め息をついた。
「いや、八つ当たりだ。気にするな」
「私も悔しゅうございます。若はこれほどに才気溢れる方だというに、」
「仕方あるまい。今は大人しく命に従っていよう」
 面白くなさそうに言って、源次郎は脇息に凭れる。興奮で朱がさしたその顔は平生にもましていっそう幼げに見えた。海野は困ったような、それでいて嬉しそうでもある表情で源次郎を眺めた。この若き主君がこうした投げやりな態度をとるのは自分の前でだけだと知っているのだ。
「必ずや、若の御名に恥じぬような働きをしてまいります」
「うん。……いや、六はよい」
「よい、とは?」
 源次郎の言葉に、叩頭した海野は怪訝そうに顔を上げた。つい今しがた不機嫌に歪んでいた源次郎の表情はすっかり遣る気を取り戻している。口元には気丈な笑みさえ浮かんでいた。
「敵将を討ち取ることよりも、大切なことがある」
「それは?」
「分からぬか」
「は、恐れながら」
 答える海野に源次郎はいよいよ楽しそうに目を細めて、
「初陣では多分に平静ではいられなくなると聞く。なればお前は功を急くのではなく、戦場の有様をしかと見届けて参れ。戦場では私より六の方が上手となる。その上で我が初陣の折には私の目となるのだ」
「成る程、心得ました」
 殊更に楽しげに頷き、源次郎は海野を手招きした。気心の知れた小姓が側近く寄って来ると、源次郎は彼にしか聞こえぬほどのささめき声で、
「きっと生きて戻って参れよ。この先、六がおらねば私の目論見は成功せぬ」
「目論見、にございますか」
「おう、そうさ。私は己がこのような所で終わる男ではないと信じているからな」
 源次郎の声は愉快そうに笑っている。海野は故意に呆れたような表情を作って肩を竦めて見せた。むろん彼もまた、楽しんでいる風である。
「何と恐ろしいお方だ」
「ふふ、その恐ろしい考えを私に抱かせたのは誰ぞ。他でもない六ではないか。お前といるとな、私は何やら気が大きゅうなる」
「私は真を申し上げているばかりにございます」
「食えぬやつめ。それでこそ我が軍師」
 源次郎の言葉に、二人は笑みを交わした。同じ年齢の小姓に過ぎない海野を、源次郎は『軍師』と呼ぶ。それは海野が源次郎を輔け、世に出て二人の力量を示すという希いを、変わらず抱き続けてきた彼等の幼い頃よりのひそかな慣習であった。
「健闘を祈るぞ、軍師」
「承知つかまつりました、殿」







臥薪嘗胆
(その主従、侮るなかれ)

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