駄文
□WiSH〜
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山の神様“安西神”から一年に一度、山の仲間達にプレゼントがあります。
それはどんな願いでも“ひとつだけ”叶えてもらえるという魔法の贈り物。
でもお願いを増やすこと、お願いがずーっと続くこと、気持ちや体を傷つけることだけは聞き入れてもらえない約束です――
「しょーがねーよな、ミッチーはさ。じごーじっとくナノダ!…あれ?じゅっとくだったカナ?」
クマゲラの桜木が真っ赤な頭を振りながら騒いでいるのをチラリと見上げて、熊の三井はくるりと背を向けた。
あの日、空腹だったのは本当だったけれど、三井が山を降りた本当の原因は宮城との喧嘩だった。
(アンタのワガママにゃウンザリだ)
…宮城の言葉を思い出した。
三井の知らない所で人間も山の仲間達もてんやわんやの大騒ぎで、ようやく山に戻った三井は罰として、今年のプレゼントは頂けないことになったのだ。
「ミッチー帰るのかあ?」
「安西先生によろしくな」
のそのそと下って行く三井を見送って、桜木は今年はどんなお願いをしようかな?と思いながら翼を大きく羽ばたかせた。
**************
もともと三井は今住んでいるこの山で生まれたのではなく、もっと遠く海の見える山の中で生まれた。
まだ小さかった頃、生まれた山を追われた(どうやら人間達の“開発”とやらが理由らしい)母親と一緒にさまよっているうちに、いつの間にか母親とはぐれてしまった。
そうしてたどり着いた大きな河のそばで野犬の群れと出会い、初めての冬を彼らと過ごしていたのだ。
ようやく乳離れをしたばかりだった三井を一見ぞんざいに、でも本当は深い優しさで育ててくれたのは野犬達のリーダー、鉄男だった。
「こっから先はオメエ1人で生きてけ」
左脚のケガも癒えて歩けるようになった頃、鉄男は突然三井に言った。
「鉄男……?」
「一緒に居るにゃ目立ちすぎんだよ、三井」
傍らの竜が俯きながら呟いた。
「このまま一緒にいたら絶対人間に見つかっちまう。そしたらお前の親みてえに人間に殺されっかもしんねえんだ」
「竜!」
「だってそうだろ?鉄男だって見てたじゃねえか!三井の脚だって流れ弾のせいで」
「いいから黙ってろ!!」
ガッと牙を閃かせたかと思うと竜の体が吹っ飛んだ。頬の辺りを噛まれ、草の上に竜の血が滴った。
「こっから見えるあの山にゃ神様ってのが居るって話だ。其処なら人間もオメエらに手は出せねえらしい」
顎についた血を舐めとりながら鉄男は遥か先に連なる山を指差した。
「だったら鉄男達も一緒に「俺らは山じゃ暮らせねえ。もともと人間に飼われてたんだからな」
三井の言葉を遮り鉄男は肩をすくめた。三井を囲む仲間達は皆元は猟犬やペットとして飼われていた犬達だ。様々な理由で捨てられた者達が寄り添い徒党を組んで生きている。
「ヒグマが出たとなりゃついでとばかりに野犬狩りになってもおかしかねえんだよっ」
ツバを吐きながら鬼頭が吠えた。元は優秀な猟犬だったが、飼い主の猟仲間からその優秀さを妬まれて、収容所に送り込まれた過去を持つ鬼頭は誰よりも人間と野犬狩りが忌み嫌っている。苛立ちまぎれに足元の草を蹴る鬼頭に、三井はただうなだれるしかなかった。
「山へ行け、三井」
静かな声で鉄男が言った。ポロポロと涙がこぼれ落ちてしゃくりあげる三井の背中を誰かの手が優しく撫でさする。
「三っちゃん」
ラブラドールの徳男が涙声で何度も何度も震える三井の背中を撫でる。ラブラドールに似つかわしくない濃い風貌の徳男もまた、ブリーダーだった飼い主から貰い手が無いことを理由に捨てられた。
見た目とは裏腹に気が優しくてケンカに弱くて…でもいつだって三井のそばに居てくれた。
「俺達ずっと三っちゃんのこと忘れないから…」
ギュッと三井の手を握り締めて、それから徳男は身を翻して走り去っていく。
「三っちゃん、元気で暮らせよ」
「山のヤツらなんかにナメられんなよ!」
次々と仲間達が別れを告げて去っていく。
「あばよ、三井」
竜が乾いた血の跡を隠そうともしないでニヤリと笑うと三井の肩を叩いた。
そうして三井は鉄男と2人きりになった。
「鉄男…鉄男、オレ…」
じんわりと新たな涙を浮かべた三井の頭を、鉄男はくしゃりと撫でた。
「じゃあな、クマ公」
4分の1交じった狼の脚力で、あっという間に鉄男は走り去った。
三井はグイッと拳で涙を拭うと
「クマ公って呼ぶなって言ってんだろ!!鉄男のバカヤロー!」
ひときわ大きな声で怒鳴り、それから遥か先の山を睨みつけるとゆっくりと歩き出した。
**************
何が食べられる物かも分からない。
だって食べる物はいつも仲間が運んできてくれたから。
どこが安全なのか分からない。
安心して眠りにつくのはいつも鉄男や竜、徳男達のそばだったから。
記憶にある中では初めてと言っていいたった1人での旅の果てに、やっとたどり着いた山の中で三井は空腹に痛む胃の辺りを押さえ、花の咲き乱れる草地にしゃがみこんだ。
もう何日も水ばかりで過ごしていたのだ。
些細な葉擦れの音でさえ、何も知らない三井には恐怖の対象でしかなく、耳慣れない物音に神経は苛まれる。
「鉄男…みんな…」
思い出してはいけないとずっと我慢してきたけれど…
ただひたすらに仲間が懐かしくて……
三井はうずくまって声をころして泣いた。
暖かい春風に乗ってピスピスと不思議な音を聞きつけて、宮城は耳をそばだてた。それからヒクヒクと鼻を蠢かせる。
音の主はどうやら【同族】のようで、宮城はドキドキしてきた。
顔見知りの同族の匂いなんかじゃあない。絶対に…それに匂いはこれから自分の向かうつもりの、宮城の縄張りであるカタクリの群生地から漂ってくる。
甘い球根の密生する場所で、宮城は雪のように真っ白いオコジョの彩子に初めて出会った。
もし彩子のような美人な同族がいたら……いつまでも嗅いでいたくなるような、腕の中で抱きしめていたくなるような、イイ匂いがする。
淡い期待に宮城は逸る気持ちを隠せずに跳ねるような足取りで群生地を目指した。
(いた!)
思った通り咲き乱れる花の中に丸くなった背中が見えている。
近づいたせいか、さっきよりももっと匂いがはっきりしてきて宮城はうっとりと目を細め、胸いっぱいに息を吸い込んだ。
ここのところ、なんだかずっとおかしな気持ちでムズムズしていた。何か変な物でも食べたのかと苦いキハダをかじってみたり、芽生えたばかりのなぎなたこうじゅを口にしたけれど、モヤモヤしてウズウズする気持ちはちっとも治らない。
親から教えてもらった薬草の、そのどれもが効かなくて、宮城は頭が痛くなるほど悩んでいた。
(なンかすっげーイイ匂い)
体中を渦巻いていた不快感がはっきりと形を作っていく。
心臓の鼓動が跳ね上がると同じように、下半身にも心臓があるみたいにズキズキしてきた。
なんだか頭がクラクラしてきて宮城は一歩も動けずに、じっとうずくまった背中を見つめている。
不意に風向きが変わった。
ヤバいと宮城が思った瞬間、振り向いた涙に濡れた瞳がまっすぐに、宮城の心を射抜いた。