記念碑

□証拠物件
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「てめーのことはてめーでやれってのが家訓なんだよね」

照れくさそうに笑う宮城に三井は目を丸くした。
共働きな両親と既に嫁いだ長姉と海外留学中の次姉。宮城自身が家事をするのは当たり前なのだろう。
専業主婦の母親に、自室の掃除までしてもらっていてそれが普通だと思っていた三井には青天の霹靂のようにびっくりする出来事だった。
あれから自分の部屋だけは自分で掃除をするようにしている。本当はもっと宮城のようにいろいろ出来るようになりたいが、どうにも才能が無いようでなかなか上達しそうにない。
黒こげになった卵焼きや、洗剤の泡で溢れた洗濯機に我ながら情けなくて泣きたい気持ちだったが、苦笑しながら後始末をしてくれる宮城には本当に頭が上がらない。
最も頭が上がらないのは三井の内心だけであって、表に出てくる態度は相変わらず桜木が言うところの『ふんぞり返ってひっくり返ってる』のだが…

宮城と付き合うようになって、知らなかったことが沢山あるのだと知った。
中には何故そんなことまで知っているんだと胸倉をつかみたくなるようなこともあるが、今更過去をとやかく言っても始まらないし、がなり立てるのも女々しいようで結局三井は何も言えないでいる。
そんな三井の憤懣も聡い宮城にはお見通しで、要所要所で三井サンが居ねーと生きてけないもんなどと甘えた口調でアピールしてみせれば、根の素直な三井は存外悪い気はしないであれこれ宮城に世話をかけさせていた。



目が覚めていても、ベッドの中で2人で過ごすのも悪くないと知ったのも宮城が教えてくれたことのひとつ。
素肌に直接伝わる体温や鼓動。
頬に触れる髪の毛や吐息。
くすぐったくて暖かくて、とても安心できる――

宮城と一緒にいると、それまで自分が何も知らなかったのだと思い知らされる。ほんの少し悔しいけれど、それ以上にとても新鮮で楽しいことだった。



気持ちよく晴れた朝、いつもならとっくに起きている時間になっていても、三井はまだ宮城のベッドの中で毛布にくるまっている。
さっきまで隣に宮城がいて、抱き合ったまま唇が触れ合うような距離で言葉を交わしていた。

シャワーを浴びてくると宮城が起き出したが、三井はどうにも心地いいベッドから抜け出す気分になれない。

昨日、海南に1ゴール差で負けた。あんな風に泣きじゃくる桜木に何も言ってやれなかった。
あんな無理なシュートを打たなければ良かった…強引に、全ての責任を押し付けるようなシュートなんか…
自責の念に押し潰されそうになっていた三井を宮城は何も言わずに、抱いた。
牧を相手に、宮城だって相当疲労していただろうに。
いつもよりもじっくりと慈しむように。
記憶が曖昧になるほど丁寧に…

宮城が寝ていた場所に体をずらすと、自分とは違うシャンプーの匂いがする。
夕べ、宮城のシャンプーを借りたから今は自分の髪も同じ匂いがするんだろうな、と三井は思った。
それでなくても一晩中、こうやって同じベッドに居たら、香りくらいは移るかもしれない。

ちらりと時計を見ると、宮城が部屋を出て行ってから30分くらい経っている。そろそろ起きた方がいいかもしれないなと思って、三井はゆっくりと体を起こした。
手足の先まで、バスケの後とは違う種類の疲労感がみっしりと残っている。

昨日、何度も宮城が唇を落とした膝の傷に手を当てる。そんな風に宮城が膝の傷に触れたのは初めてだ。
この傷が無ければ…勝てていたかもしれない。自称神奈川ナンバーワンルーキーだと言い放ったあの生意気な1年に触れることさえ出来ないシュートが打てていれば…そんな三井の声無き声を、宮城は聞いていたのだろうか?

「あ、起きてたんだ?」

「今起きた」

上半身は裸のままで短パン姿の宮城は、首にかけたタオルで無造作に濡れた髪を拭きながらベッドの上でぼんやりと見上げてくる三井のそばまで来ると、そっと額に唇を寄せた。

「ちょうど良かった」

宮城は笑いながら、シーツの端に手をかけた。

「ちょっとイイ?」

どけと言いたいんだと気づいて立ち上がると、宮城は手際よくシーツと枕カバーをはずしていく。

「洗濯機に突っ込んどきてーからさ」

そして三井の見ている前でくるくるとひとまとめに丸めた。

「ガッコ行く前に洗濯まですんの?お前」

「んあ?まーね。中入れるだけだし」

「ふーん」

一度泡だらけになってから、触る気にもなれない三井にしてみれば、それだけでも十分尊敬に値する。

「すげぇな」

素直にそう思って告げると、洗濯物を抱えた宮城が急にニヤリと唇の端を持ち上げた。

「念のための証拠隠滅も兼ねて、ね」



しょうこ、いんめつ
頭の中で一度繰り返して、三井は意味を理解した。
その途端、かあっと顔に血が上るのがはっきりとわかった。
ごくりと唾を飲み込んで

「もしかして、今までも、そう…だった?」

「もちろん」

事も無げに言う澄ました態度が腹立たしい。

「だから安心していーかんね」

「何をだよ」

「あれ?言ってもいい?」

洗濯物を持ったままニヤニヤと笑う顔は、どう見ても意地が悪そうだ。だけど三井を見つめる瞳は優しさと愛しさに満ちている。

「朝飯作っとくから、シャワーで頭冷やしてきたら?」

無言でのろのろと歩き出す三井に宮城は後ろから声をかけた。

「証拠隠滅は責任もってやっとくかんね」

「抜かせ、バカ」

勢いよく閉めたドアの向こうで宮城の笑う声が聞こえた。



バスルームに入り、シャワーの蛇口を捻ったところで、宮城の台詞を思い出した。

頭を冷やせなんて、俺に水でも浴びろって言うのか。
真夏でもあるまいし、そんなことが出来るか。

だけど確かに水でもかけなければ、この頬の火照りは治まりそうにない。
少し温めのシャワーを浴びながら、昨日のやり切れない自責をも洗い流れていくような気持ちになった。
いつまでも終わった試合を見ていても、どうしようもない。決勝リーグはあと2つ。残り2試合、絶対に勝つのだ。

生まれ変わったような気持ちで顔を上げて、気づく。
鏡に映った自分の左の鎖骨の下に、赤い跡が付いている。
ベッドの中の痕跡は消しても、ここには証拠を残しておく。
そんなやり方がひどく宮城らしくて、三井は笑いがこみ上げてくるのを抑えられなかった。











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