至宝館

□早乙女一志様より二万打記念リクエストSS
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二万打リクエスト企画

 それでも明日はやってくる(リョ三+安田他)







 昨日からじわりじわりと、水彩絵の具を塗り重ねるように空を覆っていった雲は、夜も明けぬうちから細かな雨を降らせていた。
 そんな朝でも、湘北バスケ部では当然の如く朝練は行われる。校内でも厳しいと有名なバスケ部の朝練だ。雨が降ろうが雪が降ろうが槍が……降るのが槍だったら流石に朝練は中止かもしれない。今のところ降ったことがないので断言はできないが……降ろうが、なくなるはずがないのだ。
 普段通りに家を出た安田は、普段通りに学校に到着した。この時間帯、いつもならもう十分に明るいのだが、雨雲のせいで辺りは変に薄暗い。廊下には日暮れの後のように蛍光灯が点されていた。大気に満ち満ちた湿気が、ひやりと肌を押す。このところ急に寒くなってきたので風邪をひいてしまったのか、少し喉が痛かった。


「チュース」

「「チュース!」」


 部室に入るとそこには既に数人の後輩達がいて、笑顔で安田を迎えた。彼は優しい物腰と面倒見の良さから、二、三年生の中でも特に後輩達に慕われている。現に今部室にいるのは安田の他は一年生ばかりだが、皆彼がその中に入ってくるのを歓迎し、安田もごくごく自然に談笑に加わっていた。
 カッターシャツ脱ぎ、Tシャツに袖を通したところで入口の扉が開いた。


「チュース」

「チュース……って三井さん、どしたんですかそれ!」


 入って来た三井は、頭の先から足先まで濡れ鼠になっていた。通った鼻梁の先から雨粒が滴り落ち、ぶるぶると頭を左右に振ると短い髪から銀の雫が飛び散る。それでもなお伝う水滴が目に入ったらしく、三井は不快そうに片目をすがめると乱暴に手の甲でそれを拭った。


「傘、忘れた」

「えっ! でも、雨朝から降ってましたよね?」

「オレが出た時はあんま降ってなかったから、なくても大丈夫だと思ったんだよ。時間ヤバかったから急いでたし」


 それに着替え置いてるし、とぽたぽた雫を滴らせながら自分のロッカーへと向かう三井を見て、考え無しにも程がある、一瞬そう思った安田だったが、そういえば三井の考え無しは前からだと思い直した。
 ロッカーを開けた三井は、水を吸い重くなった制服とシャツを躊躇なく脱ぎ捨てた。やや細身だが均整の取れた身体が、惜し気もなく晒される。見栄えのする、しなやかで美しい肉体に、しばし羨望の眼差しが注がれた。
 だが、その首筋、胸、そして脇腹の辺りに多数の赤い跡を認めると、安田をはじめとする他の部員達はさっと視線を逸らした。あれ、虫刺されですかー?、などと聞く馬鹿はここにはいない。虫に刺されたにしては少々多く、そして際どい場所にある様々な濃さの赤。この年代の男共であれば直ぐに見当がつくであろう、いわゆるキスマークというやつであった。安田も、そして他の部員達も、今更それを指摘したりはしない。三井の肌に情事の跡が残っているなどという事は、ここでは日常茶飯事。あまりにもよくあることなのだ。
 どこか白々しい会話を継続しながら、早くこの場を後にしようと、三井を除く全員が着替えに全力を傾けるそこへ、新たな人物が顔を出した。


「チュース」


 最近ようやくキャプテン業が板についてきた、宮城だ。


「「チュース!」」

「あ、リョータ。おはよ」

「おー、ヤス。……ってうわ! どしたの三井サン!」


 宮城の視線は、親友である安田をあっさりとスルーし、今しがた替えのTシャツを着たばかりの三井の所に向かう。そのまま一目散に三井の元へ駆け寄ると、おおざっぱに水気を拭っただけの全身を見回し眉を寄せた。


「びしょ濡れじゃねーの! あーあ、服着る前にちゃんと拭いとかねーと……」


 言いながら、スポーツバッグからタオルを引っ張り出し、少し高い位置にある小さな頭をわしゃわしゃと拭い始める。しばらく黙ってされるがままになっていた三井だったが、やがて不満げな声を漏らした。


「……テメー、何で濡れてねぇんだ」

「え。傘さしてたら普通濡れないでしょ。つーかアンタはどうしてこんなびしょびしょなんスか」

「あぁ? 傘だとうテメェ。男ならンなモンささず、潔くずぶ濡れになりやがれ!」

「何無茶苦茶言ってんスか。まさかホントにささずに来たの? 傘なんか当然持ってくるでしょ。今日はどこの天気予報でも降るって言ってたのに」


 変な事を言って絡んでくる三井を宮城は軽くあしらい、手を動かし続ける。頭から顔、それに首や背を拭き終えたタオルが腕に差し掛かった。長い指の先までも丁寧に拭おうとその手を取ったところで、宮城の目が驚いたように見開かれる。


「うわっ三井サン、すっげぇ手ェつめたい! 大丈夫? 寒くない?」


 両手で三井の手を包み、心配そうに顔を覗き込んでくる宮城を見て、三井は苦笑した。


「寒かねぇよ、ばーか。お前の手があったけぇだけだろ。はは、犬みたいだな」


 よーしよしよし、と正しく犬のように頭を撫で回された宮城は、ちょっとふて腐れたようにその手を避けようとする。三井はそれ追い掛けていき、柔らかな髪を更にぐしゃぐしゃと掻き回した。
 この場面、些か仲が良すぎる感はあるが、ぱっと見た限りでは部の先輩後輩同士の単なるスキンシップに見えるだろう。
 だが。

((また始まったよ……))

 安田は静かに溜め息を零す。事情を知る他の部員達にとってはこの光景、二人がただイチャついているようにしか見えなかった。
 そう。バスケ部の新キャプテン宮城リョータと三年生部員の三井寿が付き合っているのは、部内では周知の事実なのだった。
 現に今のやり取りやじゃれ合い、よくよく見れば宮城が三井の手を取ったままの状態で続けられている。何も知らない者が見れば、目を疑いたくなる光景である事は言うまでもなかった。
 部内ではこの事に関して、ノータッチが不文律である。部員達は、野生動物が過酷な状況下でも生き延びるべく環境に適応していくかの如く、部のキャプテンと三年生部員がイチャついているという特殊な状況にも、見て見ぬフリをするという防衛術を用いて順応しているのだった。
 安田も、恋に狂った友の行動をはた迷惑に思いつつも黙認している。これでも練習中は、することをちゃんとこなし、不用意に三井にベタベタしたりはしないのだ。オンオフの切り替えはちゃんとしているので何も言わないでやっている。そうでなければ遠慮なく張り飛ばしているところだ。


「チュース!」

「おう、おはよ花道」


 やってきたのは桜木花道だった。ずかずかと部室に入ってきて自分のロッカーに荷物を置くと、ふと宮城と三井に目を向け、首を傾げる。


「あれー、何やってんだリョーちん。ミッチーの手なんか握って」


 安田をはじめとする他の部員達は息を飲んだ。ノータッチの不文律をあっさり破る花道に全く悪気はない。彼は部内において、三井と宮城が恋人同士である事を知らない(というか気付いてない)唯一の人物なのだ。故に、その持ち前の天然っぷりで安田がひやひやするような真似をあっさりやらかしてしまう。
 近づいて重なり合った手を不思議そうに見ている花道に、宮城は焦った風もなくにこやかに答えた。


「ん? ああ、三井サンの手すげえ冷てぇなって話してんだよ」

「そうなのか? どれどれ」


 宮城が両手をどかし、代わりに花道の大きな手が三井の手を覆った。


「んー、そんなに冷たいか?」

「あれ。お前宮城より大分熱いな」

「あー、そりゃ多分違うって。オレの体温三井サンに移っちゃったから、三井の手ぇ大分あったまってるし、オレの手もちょっと冷えちまったんだろ」

「フーン、そうなのか?」


 つまんねーの、と花道が手を離し着替えに向かうのを笑って見届けて、宮城が再び三井の手を取る。それを形を確かめるようにひと撫ですると、フ、と小さく笑った。


「……もう、あんまり冷たくないね」

「……お前も、そんなに熱くない。おんなじくらいだな」

「ほんとだ。おんなじだ」


 それきり二人は言葉を無くす。恥ずかしげに、けれどどこか嬉しそうに見つめ合う宮城と三井の間には、明らかな甘い雰囲気が漂っていた。……そりゃあもう、むせ返る程濃厚に。
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