献芹館
□雨降りの朝
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【三井編】
三井はふいに不安な気持ちを覚えて目を覚ました。飛び起きなかったのは、自分がいつもと違う体勢で寝ていたのと、隣にもう1人居たからだ。
「…宮城」
確認するように小さく名前を呼んでじっと見つめているうちに、さっきまで感じていた不安感は綺麗に消え去ってしまった。
きっと何か不安になるような夢でも見ていたのかもしれない…今は何を見ていたのかも覚えていないけれど…
嫌な夢なら早く忘れた方がいいと、三井は隣で眠る宮城を起こさないように、そっと身体をベッドの上に起こす。
今、三井が居るのは宮城の部屋だ。パジャマも下着も歯ブラシやマグカップまでも持ち込んで、まるで自分の家のように過ごしているが、紛れもなくここは彼の部屋だ。
「面倒だし、泊まりに使うモンは置いてったら?」
たまさか早く帰宅した宮城の母親の手料理を並んで食べている最中、そう宮城が切り出した。
口の中の物をゴクリと飲み下すのが精一杯な三井に、宮城の母親も嬉しそうに勧めてくれたが、さすがにそこまで無遠慮な真似は出来ないと思っていたはずなのに…
気がつけば彼の部屋だけでなく家中に自分の私物が増えている有り様だ。
流され易い自分も悪いのかもしれないが、そんな風に持ちかけて丸め込む宮城の方が、もっとタチが悪いと三井は本気で思っている。
2年間の愚行で落ちた体力を補うつもりで始めた早朝のランニングは、自分で決めた日課の一つでバスケ部に戻ってからほぼ欠かさずこなしているが、まだその時間には早すぎるように思えた。
三井は小さくため息をつくと、膝を抱え込むような姿勢で、隣で熟睡する宮城の顔を見下ろすように眺めた。
健やかな色合いの焼けた肌、重たげな二重は今は閉じられていて密かに三井の一番気に入っている瞳は見えない。綺麗に鼻筋の通った顔つきはこうしている分には幼いほどだ。
背丈こそ自分よりも16cmも低いけれど鍛えられた身体。近くにいるようになって、衣服に隠された胸板の厚みや腕の力強さを知り、自分とは違う存在感に圧倒された。
「もうちょいシュートが入りゃあな」
と、宮城が聞いたら憤慨しそうな台詞がこぼれた。
アンタが俺のパスでシュートすんのが好きなんだよね、と言い訳をして苦手な外からのシュート練習をケロリとした顔でサボる宮城の態度が三井にとって不満といえば不満だった。
だが当の本人は三井のそんな気持ちを知る事もなく、ひたすら暢気に眠ったままだ。
そんな姿が可愛げなく思えて、三井は宮城の顔へ手を伸ばすとその柔らかな髪の毛をつまんで軽く引っ張ってみる。
だが宮城はそんな三井のいたずらに気付く様子もなく、ただむずがる子供のように軽く頭を振り小さく身じろぐばかり。
挙げ句、再び規則正しい寝息を立て始める様子に、三井の顔に笑みが浮かんでしまう。
「他人の部屋で他人と一緒に眠るなんて…思ってもなかったな」
思わず独り言ちた。
最悪の出会いから一年と少ししか経っていないというのに、宮城との日々は忘れられない思い出ばかりだ。
つらつらと何気なく思い返していると、ふと人生最大の恥ずかしい出来事が蘇ってしまう。
「………!!!!!!」
途端に顔が熱くなってきて、慌ててその記憶を消そうと今度は三井が頭をブンブンと振った。
宮城と初めて肌を重ねたという事実。
あの時のことは、一生思い出したくない事柄の一つだったりする。
自分のものとは思えない甘い声や吐息、苦しさと痛み…だがその先に突如訪れた、この世のものとは思えない程の深い快楽。
今まで経験した事のない体験に翻弄され、実は三井の記憶はイマイチ定かではなかったりする。
とはいえ、その後同じ体験を何度となく繰り返してしまっているだけに、自分よりも年下で自分よりもチビな相手に良いように翻弄されているという現実に、身の置き所のない程の羞恥が吹き出してしまいそうで。
三井は膝の上にあった肌掛けに顔を埋めた。
そうしてしばらくして、ようやく火照りの収まり始めた顔をずらして、未だ深い眠りの宮城の方を伺った。
三井の一人騒動に起きる気配もない男に呆れてしまわなくもないが、それでも彼の寝顔を見ているだけで不思議なほど穏やかな気持ちが胸を満たしていく。
そんな幸せな気分をもう少し味わっていたくて、三井はもう一度布団に潜り込んだ。
本来なら、そろそろランニングに行かなければならない時間だが、今はどうしてもその気分になれない。
雨が降っているから…そんな言い訳を胸の中で呟いて、自分の寝場所から少しだけ動くと、三井は宮城の傍に身体を寄せた。
ふんわりとした宮城の暖かな体温が伝わってくる。その温もりと幸福感に、三井は夢見心地で瞳を閉じた。
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