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恋愛白書2100
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「あと5分早く家を出れないわけ?」

テーブルの前ですらりと伸びる腕と脚を組んで、彼女は頬を膨らませる。
形の良い眉は中央に寄り、顔はくしゃりとしかめっ面で可愛い顔が台無しである。

「いや、本当に悪かったって」

ややオーバーリアクション気味に彼女を拝めば、小さめの口からはふぅと小さな溜め息が漏れる。

どうやら文句を言いたいだけで、本気で怒っているわけではなさそうだ。

顔を上げ辺りを見回せば、カフェにはカップルの姿が目立つ。
丁度、店員と目があったので手を上げてアイスコーヒーを頼んだ。

「エリカも何か飲む?」

「良いわ、喉乾かないもの」

そう、と相槌を打って頬杖をつく。
彼女とのデートは、いつもこのカフェと決まっていた。
彼女曰く、雰囲気や照明や料理などが彼女の好みにあっているらしい。
たまにはどこかへ行かないかと聞いてみたこともあるが、日差しの中に出るのは嫌だと言う。

彼女は生まれつき体が弱く、紫外線や強い光の場所では生きられない体質らしい。

「たまには外で思いっきり遊びたいと思わないの?」

「あなたと一緒にいられれば場所なんてどこだっていいわ」

あなたは違うの?と瞳で訴える彼女に、まぁ僕もだけどねと付け加える。

「お待たせいたしました」

さっき頼んだコーヒーが運ばれて来て、香りを楽しみながら一息入れたところでエリカは唐突に切り出した。

「最近仕事はどうなの?」

思わず面食らったが、彼女はいつでも唐突なので慣れたといえば慣れていた。

「ああ、まぁ順調かな。人間関係でつまづくこともないし」

「職場に女の子はいるの?」

「いないよ、知ってるだろ」

「わかってるけど、万が一ってこともあるじゃない」

白い頬にほのかに赤味が増す。
僕はかぶりをふった。

「ないない、今や女が存在するのは上流階級の世界だけだ」

「でもたまに下界に降りてくるって話じゃない」

「たまに、だろ?そんなの気紛れに過ぎないし、実際会いまみえるのは宝くじが当たるよりも難しいよ」

「でももしもよ?もし会ったらどうするの?」

「大丈夫だって、もし会ってもリアルの女とやると命はないらしいからね。僕は近付かないよ」

それを聞くなり彼女は安堵したように溜め息を吐く。

少子化に伴い医学は進歩し、今では精子と卵子の冷凍保存は当たり前の事となり、セックスをしてまで子供を作ろうなどという馬鹿はいない。
だいたい夫婦になる必要がなく、独り身でも申請さえすればあとは勝手に子供は出来るし、人口子宮から生まれた子供は世話役のアンドロイドが育ててくれる。
子供の申請は義務だから必要なことだけど、あとはほったらかしにして遊び歩いてもなんら問題ない。

結婚が必要なくなったからには恋愛において男女は互いの理想を追求し、今ではアンドロイドや立体映像など自分の理想の相手を作り出すことなど容易いことだった。
中にはまだ、生身の女とセックスをする物好きな男もいるようだが、だいたいそういう奴は上流階級の人間で、大勢の女を囲って暮らしているという話だった。

「ねぇ…私のこと、好き?」

延長をしなければ残り5分。僕が帰る時間になると、エリカは必ず伏し目がちに問い掛ける。

「好きじゃないって言ったらどうする?」

にやついて焦らせば彼女は膨れる。

「真剣に言ってるんだから真剣に答えて」

「好きだよ」

「愛してる?」

「愛してるよ」

そう言った途端にテーブルの上のベルがなる。
僕はボタンのスイッチを押してベルをとめ、その隣にある会計のボタンを押して金額を確認してからお札をまるで銀行のATMみたいにテーブルに突っ込んだ。

「来週もまたここで」

「ああ」

寂しそうな表情の彼女に微笑みかければ、彼女の映像は途端に消え失せた。
僕のテーブルの隣では、店員が誤って女の子に水をかけたのだろう。
一緒にいた男は激怒して、実体のない彼女を懸命に拭こうとしている。
店内アナウンスで、“エリカ27番席お次のお客様どうぞ”と事務的な口調が耳に入ったが、聞こえないフリをしてそそくさと店を出る。


医学の進歩により、女が必要なくなった現代では人口の8割が童貞だという。


僕ももちろん、童貞である。






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