恋海二次小説[1]

□守ってあげたい
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〇〇の姿が見えない。

今シリウス船は港に停泊しているが、間もなく出航予定の時間だ。

シンは今後の航路の打ち合わせの為にずっとリュウガと航海室に詰めていたのだが、確か〇〇はトワと買出しに行ったはずだった。

「おい、トワ。〇〇はどうした」

「え!?結構前に一緒に帰って来ましたけど…」

シンの問いかけにトワが驚く。

「もしかして、いないんですか?〇〇さん」

「シン、やっぱり上にもいねえ」

ナギが荒々しい足音とともに階段を下りて来る。

シンは甲板や自室にいない〇〇がいつものごとく厨房にいるのかと思い確認に行ったのだが、そこにも姿はなかった。

その時に〇〇の不在を聞いたナギも、シンと手分けして船内を探しまわっていたのだ。

「こっちにも見えない…あいつ何してやがる」

シンが顔を曇らせる。


いつの間にか集まった船員達が、未だ船内に姿の見えない〇〇を案じていた。

「もしかして、〇〇さん…」

ふとトワが、何かに心あたったらしく呟く。

「公園に行ったのかも」

「公園?」

訝しげに尋ねると、トワが買い物中にあった〇〇とのやりとりを説明しだす。

「買い物の帰りに通った公園でお菓子屋さんの露店が出てて、〇〇さんとても欲しそうだったんですよ」

でもその時は荷物が二人とも手いっぱいだったのであきらめた、と。

出航までわずかながらも時間があったので、その露店に買いに戻ったのではないだろうかと言うのがトワの想像だった。

「ありうるな」

ナギが日ごろの〇〇の、その小柄な体の一体どこに入っていくのかと思う嬉しいくらいの食べっぷりを、脳裏に浮かべながら頷く。

「食い意地はってるもんなあ、あいつ」

「ハヤテ、あんたには〇〇も言われたくないだろうよ」

「うっせえ、ファジー!手前だって」

また始まりそうな二人の小競り合いをシンがぎろりと睨みつけ制す。

「うるさい貴様ら。黙れ」

冷やかで刺す様なシンの視線に、ハヤテとファジーが慌てて口をつぐむ。

「おいトワ、その公園案内しろ」

シンがトワを促し〇〇を探しに船から出ようとするのに、一同も手分けして探そうと甲板に向かう。

ふと、甲板から微かな物音と小さな気配が現れたのをシンが察して、急に走り出す様に足を速める。

「おい、シン!?」

仲間達の問いただす声も無視して、シンが甲板の上に出ると案の定今船にあがってきたばかりらしい〇〇に遭遇した。

本来なら安堵するところなのだが、〇〇の様子にシンも、シンの後を追ってきた一同も凍りついたのだった。

「遅くなっちゃて、すみません…」

〇〇は全身土埃で汚れていて、ひょこひょこと少し足をひきずっている。

その足の片方の靴は脱げて裸足だ。

シャツの前を手で押さえているのは、どうやらボタンがはじけとれてはだけてしまているからだと見てとれる。

シャツだけではなく、スカートもところどころ破け裂けている有様。

顔もすりつけられたように土で汚れていて、頬には小さな切り傷のようなものが。

膝もすりむけて血がにじんでいて、他にも数ある擦傷が小さな体のあちこちに見てとれる。

どう見ても暴行を受けたとしか思えないその様に、シンが〇〇にすぐさまに駆け寄ってその小さな肩に両の掌を支えるように置けば、可哀そうに細い肩は震えていた。

「…何が、あった〇〇」

シンが詰まる様な声で、〇〇に尋ねる。

「あ、あの。公園で急に後ろからのしかかられて…」

〇〇の告白に、その場の誰もが息をのんで重い空気が場を支配する。

「逃げたんですけど、しつこく追いかけられちゃって」

なんとかまこうと逃げ回っている内に遅れてしまって、ごめんなさいと言う〇〇の小さな体を己の胸の中にシンが抱きしめる。

見ると〇〇の目の淵には、涙がにじんでいる。

その小さな滴を、シンは唇でそっと触れて吸い取った。

そんなシンの仕草に目を丸くした〇〇に、シンは〇〇の体を守るように安心させるように一層抱きすくめる。

「もう大丈夫だ。…怖かったな」

シンの労わる様な慈しむ様な優しい声音に驚いて〇〇が顔をあげる。

てっきり時間に遅れた事への叱責が降って来ると思っていた〇〇は、優しく安心させるようにふんわりと抱きしめて来たシンに戸惑いを見せる。

「追っかけて来たって事は、まだその辺にいるんじゃねえか?」

「あたいの大事な妹分をこんな目にあわせやがって」

「本当です!許せません」

ハヤテ、ファジーにトワの3人がすっかり憤っている。

望遠鏡をとりだしたハヤテが、「どんな奴だったか言えるか?」と聞いてくるので〇〇は覚えていた特徴を口にした。

「ええっと、私より大きくて…茶色で毛むくじゃらでした」

茶色い髪の髭のある男かとハヤテが港に向けて望遠鏡を覗く。

「見つけ出し次第、ぶっ殺してやる」

ナギが鎖鎌を取り出して、低い押し殺した声で呟いているのが聞こえて〇〇は驚きの目を向ける。

「ああ、ただ殺すだけでは飽き足らないくらいだ」

シンも懐から銃を取り出して、その瞳にも声にも明らかな殺気がこもっている。

「女の子に非道を働く様な奴は捨て置いてはおけないね」

「うちの可愛い船員に手を出したらどんな目にあうかわからせてやらねえとな」

ソウシやリュウガも、船員達全員が一斉に戦闘モードになったことに、〇〇が目を白黒させた。

「え…?あの?こ…殺すとかって、そんな。多分悪気はなかったんだと…」

「悪気って…何言ってるんだい〇〇!女として怒っていい事なんだよ」

同じ女としてファジーは、〇〇のお人よしな言葉に…暴行を受けたとしても最悪の行為はされてはいなさそうかとは察するが。

全くうぶなこの妹分が、無理やりどこの馬とも知れぬ男に押し倒されただけでも十分同じ女としては由々しき事態だ。

「お…女として?」

ファジーの訴えにも〇〇は、なんだかどうも周囲と自分になにかのズレがあるような…でもそれが何なのか見当がつかずに困惑する。

「〇〇。お前を…こんな目にあわせた奴は、八つ裂きにしてやっても気がすまん」

そう言うシンに宿る殺気は本気のもので、まるで青い炎がゆらぎたつようでさえある。

何もそこまで…と〇〇がたじろいでいると、これまたシンと同じように遠慮なく物騒なオーラを醸し出しているナギの声が聞こえる。

「俺だって、楽に殺してやる気はねえ」

その怒気の凄まじさに、確かに怖くて痛かったけど…と〇〇は思い出しつつも、殺すとかはいくらなんでも行きすぎじゃないかと困惑してしまう。

「おい、ハヤテそれらしい人影はねえのか」

望遠鏡で港を確認しているハヤテはリュウガに問いただされて、頭を振る。

「〇〇が言う様な男はいねえっす」

「…男?」

小さく不思議そうに呟いた〇〇の声は、すっかり殺気で漲った船員達には聞こえなかった。

おかしい、これは絶対に何かおかしいと〇〇は、先刻から真剣な目で物騒な単語ばかり発する周囲を見まわす。

そんな挙動不審さも不安のせいだとでも思ったらしいシンが、〇〇に向けては一転して優しい瞳で見つめてくる。

「お前は何も心配するな。大丈夫だ」

「あ、あの。ええっと」

シンがてらいもなく愛しげに自分を覗きこんで来るのに、思わず〇〇の頬がほんのり染まる。

その時、ハヤテがぼそりと言った台詞が耳に入って来て、〇〇ははっとした。

「そもそも人がいねえんだよな。でっけえ犬がうろついてるくらいで」

「そ、それです!その犬です!!」

それに一同の動きが一瞬制止する。

「…犬?」

それは全員の口から同時に出た茫然とした声だった。


〇〇が露店で買った菓子目当てだったのだろう、急に大きな野良犬に背後から飛びつかれたのだ。

恐らく犬はじゃれているつもりだったのだろうが、〇〇より大きなその図体は力の加減も知らないらしく、洒落にならなかった。

いきなり地面に倒され、犬が大きな前足で押さえつけてくるのをのけようとすると、その動きを遊びだと思った犬のテンションはあがってしまったらしい。

戯れに振られた前足で頬を摺られその爪で小さく肌は切れてしまった。

終いには、犬の下からはいでようとする拍子に徒にひっかけるようにされたシャツやスカートも破けてしまう始末。

袋の中の菓子をひとつ差し出して、それに犬が夢中になってる間に走って逃げるが、再度追われじゃれ倒されてと言うのを何度も繰り返しながら逃げて来たのだ。

最終的にはお菓子も全部食べられてしまったのだと。


「あんな大きな犬にのしかかられりゃ、〇〇じゃあひとたまりもねえな、確かに」

ハヤテが望遠鏡で見た犬の大きさと小柄な〇〇を見比べて心配そうだ。

「そうだよね。…でも、相手が犬でよかった…〇〇ちゃん」

ソウシが「ごめんね。早く傷の手当てしなきゃね」と、よしよしと〇〇の頭をなでる。

「噛まれてねえか?」

ナギも先ほどのような切羽詰まった表情は解いているが、それでも気遣わしげに〇〇の怪我を見やる。

「動物が好きでも、いきなり倒されたら怖いですよね」

それに続いてトワも〇〇の体のあちこちに血がにじんでいるのを見て痛々しそうに目をすがめた。

「でも女としては、やっぱり良かったよ…」

矢張り同性のファジーとしては、身につまされるものがあったのだろう、ホッと肩をなでおろしている。

「犬相手に本気でやりあう訳にもいかねえしな。仕方ねえ」

リュウガも当初想定していた事態とは違うとは言え、それはそれで矢張り怖い思いをして怪我だらけになった〇〇の姿を見れば犬とは言え忌々しい。

しかし女にとって最悪の事態ではなかった事に安心はした。

「ご心配おかけして、すみませ…!?シンさんっ?」

それまで一言も発さず固まってしまったように微動だにしなかったシンが、突然両腕を伸ばし〇〇の背中を強い力でかき抱いてきた。

強く抱きすくめられて、〇〇の足はわずかに地面から浮いてしまっている。

〇〇の肩にシンが頭を埋めて来て、さらにぎゅっと背中にまわされた腕に力がこめられた。

彼の表情は誰からも見えない。

「シンさん…?」

〇〇の耳元で、深くつく吐息とともにシンの今まで聞いたこともないような声が響いた。

「心臓が、止まるかと思った…」

それは、いつも自信に溢れ凛とした自分を崩すことのないシンが初めて見せた姿だった。

そんないつにないシンに胸が締め付けられるような感覚が〇〇に生まれて、両腕をシンの頭に…皆から隠してあげるようにまわした。



〇〇はシャワーを浴びて汚れを落としてから、医務室でソウシに手当てをして貰った。

転んだ時に擦りむいた膝の擦傷が少々ひどく包帯を巻かれたが、他の傷はさほどでもなさそうで絆創膏を貼る程度で済んだ。

「すみません、出航の予定狂わしちゃって…」

〇〇が部屋に戻りシンに申しわけなさそうにベッドの上に小さく座って謝って来る。

しかも妙な誤解を与えてしまって…とも。

暴漢に襲われたかのような言動をしてしまったらしい自分が恥ずかしくて、〇〇は顔を赤らめている。

「怪我は痛まないか?」

「大丈夫です」

尋ねられにっこり笑って言うが、〇〇の大丈夫があんまり当てにならないのもシンは知っている。

白い柔らかい肌のあちこちに傷ができてしまっている様子は本当に痛々しい。

〇〇の隣に腰をおろして、シンはその頬にはられた白い絆創膏にそっと指を触れる。

その羽が触れるようなくすぐったい感触に思わず〇〇がみじろぐ。

「…っ」

「やっぱり、痛いんじゃねえか」

痛くて震えたわけじゃない〇〇など知る由もなく、シンが無理するなと頭をポンと撫でる。

「女なんだから、傷なんかつけるなよ」

「この程度、跡にもなりませんよ」

「馬鹿。俺がお前が怪我しているのを見るのが嫌なんだよ」

今日のシンは、なんだかひどく優しい。

「本当に、お前といると心臓がいくつあっても足りない…」

いつもなら怒声を含んで言われるような台詞も、どこか力ないと言っていいほどの静かな響きで。

相手が犬とは言え、自分より大きな動物にのしかかられた時の〇〇の恐怖感や実際受けた怪我を思えばシンとしては腹立たしい限りだ。

しかし…実際のところ最初に危惧した事態でなかったのは、本当に良かった。

女にとって、体にも心にも深い傷を負わせられるそんな行為を〇〇が暴漢に強いられたのでないことに心底シンは安堵した。

自分の愛してやまない〇〇が、そんな辛い目にあうのは我慢ならない。

当然ながら、万が一にもそんな事があれば相手の男を殺しても飽き足りないだろう。

シンがこれまで全く知ることもなかった恋情や執着心と言った感情は、今や一気に〇〇に向かってのみ注がれている。

〇〇以上に大切なものなどない。

その〇〇を傷つけられたり、取り上げられるような事態が起こればシンは正気さえ失わされてしまいそうだ。

「シンさんが好きそうなお菓子だったから、一緒に食べたかったのにな」

小さな唇を可愛らしく尖らせて、これまた可愛らしいことを〇〇が言うが。

自分の心配よりも菓子の心配をしている呑気な〇〇に、シンは「ばかか、お前は」とやっといつもの調子で。

自分の価値を全く自覚していない危なっかしい恋人を、シンは膝の上に抱き上げる。

「シンさん…っ?」

こうやって、自分の腕の中に抱いて守っていてやれる時だけが安心できる。

出来る事ならシンとしては、ずっとこうやって〇〇を自分一人で閉じ込めて拘束してしまいたいとも思ってしまう。

けれど、目を離した途端に何をしでかすかわからない〇〇をさえもシンは心底愛しいのも事実で。

ならば、どんな〇〇も守れる自分であろうと、シンは心密かに強く決意する。


End
 

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