short 3

□嗚呼、私の全ては、もう
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吐き出した息は真っ白く染まった
紺色の闇に溶けて行ったそれを眺めながら、手のひらに握っていた煙草に火を点ける
安っぽいライターの火の香りがして、それからずいぶんと嗅ぎ慣れてしまった渋い香りがした
未だ見慣れないベランダからの景色を見て、あっちにあんなビルがあるのか、とかくだらない事を思う
真冬の澄んだ空気でもいまいち見えない星空より、欲望まみれの街の灯りの方がよほどキラキラと綺麗に見えた


「本当は分かってたんだ、全部」


手を伸ばせば届く距離に居る酒臭い奴に言ってるのか、きらりともしてくれない夜空に言ってるのか自分でも分からなかったが、私の口は勝手に動いていた
瞼を閉じようと何を見ていようといつも思い浮かぶ人の顔をジクジクとした苦しみに耐えて見つめながら


「あの人、刑事だからそこそこ稼いでたのに、何も贅沢しなかったんだよね」
 

もう何年も前だ
彼に用事を頼まれて手にしていた通帳を、本当に、本当に何気なく見てしまったのだ
普通なら有り得ない、見た事のない金額の残高
目玉が飛び出すかと思った
『え、』とか『う…あ?』とか一通り唸ってから、私はああそうか、と唐突に理解した

このお金でいつか、真守達を奪った奴を、殺す為の道具を買うんだ
銃を、込める弾を、罠を、彼はいつか手に入れて、私の手の届かない人になるんだ、と


「でも何も言わなかったの」


言えなかったの
それが何故だったのかは、今もよく分からない

ただ、彼と私は幼なじみであり、家族であり、友達であり、腐れ縁であり、同じ傷を抱えた仲間であった
何にでもなれた
どんな関係にでもなれ、どんな絆ででも結ばれる事が出来た
そんな私達が決して言わなかった事がある
好きと言う、ただそれだけの事が、私はどうしても出来なかった
 
言ってしまえば、きっと、彼は私の為に私から離れて行った
いつか死ぬ覚悟で生きていたから、これ以上私の傍に居てはいけないと、きっと昔のように幻みたいに消えてしまったに違いない


「だから私、あのお金はいつか衛士が私を好きになってくれて、結婚した時のマイホーム資金だって思い込む事にしたの」


このままずっと、永遠みたいに長い時間傍に居て私の温もりを移せば、頑なに閉ざされた衛士の心もいつか溶けてくれる
私に好きだと伝えてくれると、あの頃の私は盲目的に信じていた


ねぇ衛士、あのお金はマイホーム資金じゃなくたっていい
銃を買ったっていい
閉ざした心を開かなくたっていい
死ぬ覚悟でいたっていい
煙草止めなくたっていい
笑わなくたっていい
傍に居てくれなくたっていい

私を、好きにならなくたっていいから、どうか、どうか
生きていて、ほしかったよ

 
 

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