さぶめいん

□ずっと。
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nを倒したのはついさっきの話。
それなのに、今俺の前を歩いているシキはいつもの冷静さと威圧を持っては居ない。

傲慢で、自分勝手なシキは居ない。

目の前にいるのはシキなのに、シキじゃない。
器は確かにシキだ。でも、同じ器に違う中身を淹れたみたいにまるで別人のよう。
いつものシキは何処へ言ってしまったのだろう。

憎かった。

あれだけの羞恥と悔しさを感じたことは無かった。
他人の前で自慰をさせられ、突然腹に穴をあけられて証だと所有物ということを示す物を付けられる。

何で俺がこんなことをされなければならないのだろうとシキを恨んだ。
でも、じゃあ何で俺は今こんなに悲しいのだろう。
悲しいかは分からない。でも悲しいという表現が一番近い。

嫌だ。行ってほしくない。

進んだら進んだだけ、俺の知っているシキが何処かへ行ってしまって、シキがシキじゃなくなってしまう気がする。
嫌だ、嫌だ嫌だ、どこにも行かないでほしい。
無責任だ、俺をこんなにして。

いつも傲慢で苛立たされた。だけどいつの間にか無くてはならなくなった。

そう思うと依存や洗脳は怖い。
心の底に教え込まれるときっともう逃げ出せなくなるのだろう。

怖い、怖い。
それ以上に嫌だ。現実を拒みたい。こんなの許さない。許せない。
シキ、俺の見ていたシキは…。

「何をしている。早く来い」

つい考えに耽っていて脚を止めていると、シキが振り返った。
やっぱり、どこか虚ろであの威圧的な光をなくした瞳。

「……ああ」

見ていられなくなって、目を背けた。
視線を逸らした。
俯いた。

いつからこんなに弱くなったのだろう。
前は他人なんて心の底からどうでもよかった。自分でさえ、どうでもよかった。
それなのに、何故俺は今シキがシキでなくなることを恐れているのだろう。

やっぱりシキに犯されて、侵されて、感覚がおかしくなったんだ。
きっと、何処か壊れただけだ。

だから、怖い。
普通なら怖いなんて思わない。思う必要が無い。

「……早く来いと言ったのが聞こえなかったのか」

思わずもう一度脚を止めてしまっていたらしい。
苛立ったようなシキの声がきこえて、腕を引っ張られた。

「やめ、ろ…」

"やめろ"。
そう思い切り言って、手を振り払うはずだった。それなのに、それを言うのが怖くて手を振り払えなかった。
言ってしまったら、二度と触れることができなくなってしまうと思ったから。

「シキ…」

未だ離されない手が離れていかないことを祈りながら、名前を呼んだ。
だけどシキは振り向くどころか聞こえていないようだった。

「っ…、シキ…、シキ…!」

もう二度と振り向いてもらえなかったら。
見てくれなかったら。
いや、もう俺のことなんて頭に無かったら。

「っ、―――」

何度も狂ったように、壊れた玩具のように名前を呼んだ。
暫くするとやっとこっちを向いて、珍しく何かに驚いているようだった。

「……」

口は開かなかった。
だけどシキは俺の頬を伝っていたらしい涙を拭って、立ち止まった。

「シキ…」

今の俺にはシキの名前を呼ぶことしかできない。呼んでいないと、どこかへ消えてしまいそうで不安になる。
どうでもいいはずなんだ。
寧ろ、消えてくれたほうが、嬉しいはずだ。

あの傲慢な態度がなくなるのなら嬉しいことこの上無いはず。
それなのに、俺は怖いと感じている。

「煩いぞ、黙って歩け」

シキの言葉は、俺を貫いた気がした。
紡がれた言葉は、前の命令のようなものではなかった。
ただ、不意に零れたという表現が合う声音。言い方。

シキの後ろをついていこうとしても、足がうごかなかった。
足が震えて、まったく動かなくて。
どうしよう。歩かなければ。歩めなければ置いていかれる。

でも、でも動かない。

俺はどうすればいい、シキ。
多分今の俺はシキを失ったら生きてはいけない。前に進めない。

どうすればいい、また俺は泣いてるみたいだ。
シキに見られたら笑われる。人を馬鹿にしているような、見下しているようなあの笑みで。
駄目だ、泣き顔なんて見せられない。

「っ…、っく…」

どうしても泣くのをやめられなくて、泣いた。
笑われても良いから、振り返ってほしい。見られていいから、俺のことを。ちゃんと、視界に入れておいてほしい。

「…さっきから何だ」

呆れたような溜息をついたシキの顔が、直ぐ近くにあった。
涙の所為で歪んだ視界でも、シキはちゃんと認識できる。

「シキ…、俺のこと…」

俺のこと、ちゃんと覚えていて。
忘れるわけじゃない。もっとちゃんと言えば、"ちゃんと認識して"だ。
直感で零れた言葉だった。

「馬鹿が。何を言っている…?」

理解できないと表情を歪めながら、
中々歩かない俺のことを抱き上げて歩き出した。

「やめろ、降ろせ…!」

本当は降ろしてほしくなんか無い。
でも、そうでも言わなければどこまでもいつもどおりではない俺を悟られそうで嫌だった。
多分、もう今更遅いだろうけど。

「黙れ。喚くなら捨てる」

捨てる、といわれて身体が自然と固まった。
嫌だ。絶対に。
強張って動かない俺の身体を知ってか知らずか、降ろすことはしないでそのまま歩き続ける。

「…シキ」

小さい声で呟いた。

「なんだ」

シキは俺の声に答えてくれた。
それだけなのに、嬉しい。

「……何でもない」

それだけ言うと、強くシキの首に腕を回して抱きついた。
離れないように。届かなくならないように。

「…アキラ」

珍しく名前を呼ばれた。
珍しい所為で少し反応が遅れた。

「――なんだよ」

顔は見せないようにして、答える。
だけどその後、一つの部屋に出るまでシキから言葉を聴くことは無かった。

「好きだ」

部屋についておろされる直前、本当に小さな声で呟いた。
聞こえているかは分からない。
でも伝わっていれば良いと思った。

「っ」

愛してる?
それは違うのだろうか。

好き?
でもそんなものじゃない。

大体、愛してると好きは、何が違うのだろう。
愛してる、の方が濃密な思いなのだろうか。

それは上手く分からない。
でも、無くてはならない存在だということは確実だった。

好きで、好きで。
仕方が無いことは確かな事実だった。











シキが本当に身体だけになってしまったのは、あれから暫くしてからのこと。
威圧なんて欠片もない。美しいだけあってただの人形のようになっていた。

「シキ、分かるか、俺のこと」

そっと頬に触れてみる。
だけど何の反応も無い。

「分かるわけ、無いよな。」

頬から手を離して、立ち上がった。
少しでもいいから、分かってくれていると良いと思う。
でもきっと、其れはないのだろう。

「シキ、俺は何があってもシキと居るから」

だから安心してほしい。
シキに触れようとする奴は誰であろうと切り伏せる。
だから、安心してそこで見ていて。

「俺のこと、拾ってくれてありがとう」

シキにあえてよかったと思う。
最初は恨んだ。憎んだ。苛立った。
だけど彼は彼なりの愛をくれた。初めて愛を実感したような気がした。

今度は俺の番。
俺がシキを守って、お返し。

「散歩に行こうか、外が綺麗なんだ」

車椅子を押して、外へ出た。
シキの瞳を思わせる、真っ赤な紅葉の舞い散る外へ。




end

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