short stories

□今日からまた
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きっかけは些細なことだった。

本当にたまたまお互いに仕事が重なって、忙しくて会えなくて…それに加えて1ヶ月前ぐらいからしていた約束を向こうがすっぽかした。
いつもなら私は心の広い女を演じているから、「仕事が忙しかったんですね」で済ませられる。
心中はまったく穏やかではないけれども。
でも、今回だけは駄目だった。
おさえられなかった。
だって約束の前にたまたま出会った沖田くんに「土方さんなら遊郭ですぜィ」と言われてしまったから。
しかもそれに追い打ちを掛けるように土方さんの隊服の襟元に掠れた紅が付いていたのを見つけてしまったから。

「何処に、行ってたんですか……」

ぽつり口からこぼれ出て来たのは何処に行ったか尋ねるもの。
行き先なんて知ってたのに、半分信じたくなくて聞いてしまう。

「仕事だ、仕事」

「屯所でですか…」

「あ、いや…まぁ……接待だ」

言葉を濁す土方さんに、沖田くんが言ってたことは本当なんだろうなと確信してしまった。
最初から分かってたことじゃない、なまえ。
自分で自分を心の中で叱咤する。
土方さんにとって私は都合の良い女なんだ。


もともと真選組の女中をやっていて、土方さんとも多少の世間話はしていたし、彼の趣向もよく理解していた。
そして屯所にいる間中良い女を演じ続けた。
それもこれも彼のことが好きになってしまったがため。

当時は知らなかったけど、土方さんには沖田くんの姉という思い人もいたそうだし、何より真選組に命を捧ぐ彼はきっと色恋沙汰なんて興味ねぇと一刀両断することは分かっていた。
だからこそ諦めるために女中をやめて、もともと真選組の女中になる前から取得していた看護師の資格で近くの診療所に勤め始めた。
資格は取っておくものだとこのときほど思ったことはない。

それから1年ほどは忙しいけど、充実した日々を送ってた。
はずなのに……
急に彼が、土方さんが私の家に尋ねて来た。
頼みがあると言って。


「悪い。夜分にこんなところに連れ出したりして」

「いえ、その…頼みというのはなんですか?
私にできることならいいですけど」

「おまえにしかたのめねぇ」

土方さんが急に真剣な目で私を見つめて来た。
せっかくこの一年で吹っ切ったのに。
こうやってまた…彼に振り回されるんだ。

「……俺と婚約してほしい」


私は土方さんの顔を思わず凝視して、目を見開いてしまった。
たぶん1年前なら飛んで喜んだだろうけど、今は素直に喜べない。

「それは、どういうことですか。
急にそんな話…何かあるんですよね?」

「いや……それが…」

土方さんはきまり悪そうに口を開いた。

つまりこういうことだった。
上から幕臣との婚約の話が降りて来たらしい。
最初は近藤さんに来たらしいのだが、近藤さんはお妙さんという愛する人がいるからと、縁談をすっぱり…それはもうすっぱりと断ってしまったらしい。
そこで次に話が来たのは副長である土方さんだったという。

もともと所帯が持てるなんて微塵も思っていなかったし、近藤さんのストーカーによって増える仕事や、沖田くんの始末書とか…それに加えて通常の副長業務やらなんやらで、婚約なんて無理だという。
そのことを伝えようにも上司と部下の不始末を上に言ってしまうことになるため出来ず、婚約者が既にいるというのを装って断ってしまおうという算段だったらしい。

「そこでどうして私に白羽の矢が立ったんですか?
女性なら屯所に女中さんがいっぱいいるじゃないですか」

「女中だといろいろややこしいんだよ。
あいつらは耳早ぇし」

「…なんとなく土方さんの言いたいことは分かりました。
それで、元女中で土方さんとも面識のある私が選ばれたわけですね」

「あ、あぁ。それでその話…」

「いいですよ」

「え、いいのか?」

「いいですよ。私の気持ちが変わらないうちに婚約でも何でもしといた方がいいですよ」

結局私は好きな人からの頼みは断れず、受けてしまった。

その後、土方さんの縁談は破談。
私と彼の関係もそれで終わるはずだったのに、彼は終わらそうとしなかった。
そうやってずるずると一年が過ぎ去り、今に至るというわけだ。

お互いに気持ちも伝え合わず、なのに恋人らしいことだけはやっていた。
たまの休みにはデートに行ったり、手繋いで、キスして、夜も何度か共に過ごしたことがある。
そうやって私は抜けられないループに嵌ってしまった。


ある日ぽろっと零してしまったことがある。
あれは情事のあとだった。

「土方さん…」

「なんだ?寝てなかったのか」

「……好きです」

「そうかよ」

あのとき後ろから抱きしめられてたから表情は何も読めなかった。
口には出さなくても、行動で気持ちを示してくれていると私は感じ取っていたから、別に同じ言葉を返してくれなくても平気だった。
でも、それから土方さんと会う回数は格段に減った。
「忙しいんですか?」と尋ねても、「そうだ」としか返って来なかったし、仕事となればお互い良い年した社会人なのだから深く追求は出来なかった。
それから何度か甘い香水の香りを漂わせて私の家に上がり込んで来る土方さんの懐抱だってしたし、「会いたい」なんて一言も漏らさなかった。

偽の婚約者から始まった私たちの関係は、どちらかが「もういい」と言えばあっさりと終わってしまうようなぺらぺらな関係だったから。
それでも、たとえ土方さんが惰性で私とつき合ってくれていたとしても、土方さんのことが好きな私はそんな関係でも続けたかった。

本当は土方さんの気持ちをちゃんと伝えて欲しい、曖昧な行動なんかじゃなくて、ちゃんとした言葉で。
本当は貴方が忙しいって分かってても会いたい、寂しい。
本当は甘い香水の香りを纏って来た時、どこで何してたのか聞きたい、私はその香りだけで傷ついているんだよってことを分かって欲しい。

それでも私は広い心の女を演じた、都合の良い女を。
その結果が今回のこれだった。




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