07/16の日記

17:59
偽善宗教と大詐欺師の風景、小説の原風景、
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 小さな者は巨大なものはわかりようがない。と言うことだ。蟻は巨大な象のことは分からない。要するに、自分の持っている価値観でしか理解できない。全く違った世界で生きている者は別世界の事の本当の姿は見えないものだ。人間にあてはめると、全く違った価値観を持って生きている人のことは自分の価値観でしか理解できないものだ。その犯罪は巧妙に仕組む。しかし、大きな落とし穴に落ちる。その道へと日々歩んでいる。

 1,人を騙して詐欺をしてきた悪人は慈善活動は詐欺にしか見えない。そんな極悪人が身近にいる。社会的に、金融機関では「大詐欺師」と評価されている。
 
 2,人間を金銭を産む存在とみている人間は、その範囲内でしかお金の使い方を知らない。例えば、自分が偉く見てもらうためには、金を使う。酒食をまかなう。そんな人間は見抜かれている。本人には分かっていない。そんな人間は脱税も平気でやる。俺はこんなに税金を納めたとして、十数年前の1千万円の納税証明を見せびらかせて、俺は金持ちだと吹聴する。滑稽である。本人の居ないところで笑い物になっていることは本人は知らない。賤しく、汚いアブラ虫だ。それがまことしやかに宗教を語る。滑稽を超えて気持ち悪い。
偽宗教の宿命として社会から偽善者として指弾される事は時間の問題だ。

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14:58
明治維新群像の実像!歴史は勝者の賛美史だ。
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明治維新群像の実像!
歴史は勝者の賛美史だ。
テレビ、雑誌で英雄視されている明治維新の『志士』の実像に迫る。
作家の早乙女貢さんが『隠された維新史』として物にしている。大変参考になった。

私は明治維新時代に生きた先祖の言い伝えから3代になろうか、勿論、会ったことはない。
維新政府が金ピカの馬車で官吏になってくれと迎えにきたそうだ。その人々の腐敗不正が目に余り断ったそうだ。
西郷隆盛さんの清廉に随分感心していたようだ。

渋沢栄一は東大の一年先輩であって、知り合い、それで誘われたが断っている。
市井の英学者として後進の教育に身を投じた。精錬のサムライだった。そんな因縁で私は随分関心がある。

明治の元勲の多くは、ほとんどが、出世が目的であって、詐欺、公金横領、裏切り、殺人に手を染めている。脛に傷を持つ『犯罪者』だ。政治屋だった。清廉潔白な人物は数えるくらいだ。
中身をみると、日本の構造的腐敗政治はその遺伝のようである。



以下述べてみよう。

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