怖い話@

□「黒い筋」
1ページ/1ページ

今から二年前の話です。ある女性、Aさんは都内の中古マンションを買いました。都心に近く、部屋の広さもなかなかで独身の彼女にとってはとても住み心地のいいところでした。当時、彼女は恋人もおらず、同僚と飲む時以外は規則正しい生活をしていました。ただ、たまに、会社から帰宅すると洗面所の歯ブラシ立てが落ちていたり、立てかけておいた掃除機が倒れていたりすることがあったそうです。初めは特に気にしなかったAさんも、意識して生活しているうちにだんだんと嫌な予感がしてきました。しかし、不動産屋や隣の人に聞くということはしませんでした。もし、実はその部屋ね…なんて言われても困るし、何より月々五万のローンが三十年残っていたのでAさんはそのまま住み続けるより仕方ありませんでした。倒れそうな物はなるべく戸の中にしまうようにし、どうしても倒れてしまう物は倒したまま出社しました。
ある時、会社の飲み会の流れで同僚がAさんの部屋に泊まることになりました。同僚のOさんは新人で、初めてAさんの家を訪れました。ところが玄関に入った途端、Oさんは真っ青な顔をして立ったまま中へ入ろうとしません。「どうしたの?」Aさんが尋ねるとその子ははらはらと涙を流しながらごめんなさい帰りますと言って駆けていってしまいました。翌日は土曜でした。Aさんは久しぶりにゆっくりと部屋で本を読むことにしました。ふと、どこかでゴズ〜っゴズ〜っと何かが擦れるような音が聞こえました。振り返ると線はどこにもなくただの壁があるだけでした。近づいてみると壁際に細い髪の毛が落ちています。Aさんは背中に悪寒が走るのを感じ、慌てて外出しました。Oさんの家を訪ねたのはすでに正午を過ぎた頃でした。OさんはAさんの顔を見た途端、またあの泣きそうな顔になってしまいました。Aさんはなかば無理矢理彼女を喫茶店に誘うと、渋る彼女に昨日なぜ泊まらなかったのかを尋ねました。
その音が二回、三回と続くと玄関の方で物の倒れる音がしました。見に行くとサンダルかけが倒れていました。昨日の同僚の玄関に立った時の普通ではない様子を思い出し、Aさんは急に恐怖感を感じ、外出することにしました。Oさんを訪ねてみようとも思ったのです。リビングで支度をしている時、鏡の中に写り込んだ部屋の壁を見てAさんは目をみはりました。壁に、まるでペンキで塗ったような黒い線が引いてあるのです。Oさんは初めずっと俯いてばかりでしたが、Aさんの強い押しに負けて、ようやく顔を上げ口を開きました。「先輩…あの部屋、お買いになられたんですよね」「そうよ。でも何かあるのなら教えて欲しいの。場合によっては売主の説明責任を追求しなくちゃならないし。何もないなら今まで通り暮らすわ。どちらにせよ、あなたには迷惑かけないし、怒ったりしないから」するとOさんはぽつりと呟きました。「あの部屋…子供が死んでます」Aさんは息をのみました。
子供…。Oさんは再び涙ぐみだします。「それも酷い。四歳ぐらいの子。頭、なくなってるんです」彼女は昨日、Aさんの部屋の玄関でそれを見たのでした。その日Oさんと別れてから、Aさんはお守りを買い込み、部屋の中に吊しました。塩も撒き、部屋中の電気をつけたまま寝ることにしました。…頭がないなんてどういうことなの…?恐怖は募るばかりでした。不動産屋に電話をしてみても相手は全く取り合ってくれませんでした。仕事は詰まっているし、部屋に帰っても休んだという感覚がなくAさんはとにかく疲れていました。その日は早めにベッドに潜ると、ヒーリングCDをかけました。――ゴズ〜っ…ゴズ〜っ…いつの間にか眠っていたようです。部屋の電気は消えていました。その音は廊下から聞こえていました。ゴズ〜っゴズ〜っ…Aさんの寝室はリビングの隣にあります。廊下とリビングを繋ぐドアがカチャッと開く音がしました。何かが歩いているのです。Aさんの恐怖は限界でした。しかし、確かめなければ…彼女は起きあがると寝室のドアを細く開けました。リビングの壁に、あの時と同じ黒い筋がぐるりと付いています。ゴズ〜っゴズ〜っ。音が響きます。ふと、月の明かりに照らされて暗闇の中に人影が見えました。子供です。ただし、顔はなく鼻から上は潰れていました。吐き出した舌とおもちゃのような歯が見えました。子供は潰れた頭をてっぺんから壁に押しつけるようにして、部屋を徘徊していたのです。ゴズ〜っゴズ〜っ…Aさんのかわいた喉は悲鳴を上げそうになりましたが恐怖のあまり声も出ません。彼女はドアを閉めるとノブを握ったまま座り込みました。あんなものに入ってこられては堪らない…。音は夜通し続きました。ノブも何度か回されました。数日後、Aさんは売主の説明責任が果たされなかったとして、不動産屋に部屋を買い取ってもらいました。その時聞いた話によるとその部屋では何年か前に、母親が、妹の粉ミルクを舐めたのを理由に幼い息子の両足を掴んで玄関に頭を叩きつけたという出来事があったそうです…。

[戻る]
[TOPへ]

[しおり]






カスタマイズ