波瀾万丈

□急転直下
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そういえばもう返却されたかな、と立ち寄った高校の図書室で、目当てのものはいまだ貸し出し中だった。
少しだけ残念な気持ちになりながら、ぎっしりと本が詰まった棚の間を移動する。
図書室は結構好きだ。
紙の匂いに包まれた空間はとても静かで、まるで高校という雑多な気配から切り取られたように感じることが出来る。
それが好きだった。

高校のものとはいえ図書委員が頑張ってくれているからか本に関してもかなりの品揃えがある。
有名所からレアなものまで。
宝探しの要領で借りるのが楽しみだったりするのだが、今回はどれもこれも貸し出し中だった。
まぁ、そんなに急ぐもんでもない。今すぐ読みたいという本もないので、早々に諦めて階段へと向かった。

途中、ぐーっとお腹がなる。

誰がいたら駅前のファミレスに行きたいなー、とぼんやりしながら一歩を踏み出した瞬間だった。

ガクっと膝が折れるようにバランスを崩して転倒した。

場所が平面な床であればすっころんで終わりだっただろう。
けれどここは運悪く階段で。
ふわっと自分の身体が浮いたのが分かった。
その後は痛み。
ガンガンと肩や背中や腰や膝を何度も何度も打ちつけて。
最後に思いっきり頭に衝撃を受けてからようやく止まる。

階段を転げ落ちたのだ、と理解し、
恥ずかしさと痛みに身悶えながら、なんでもないですよー、大丈夫ですよー、という態度を作り上げてゆっくりと起き上がろうとした。
最後に打ち付けた頭をさすりながら。





けれど、
そこに広がっていたのは―――。





*
*
*








「ありがとうございましたー!」

満足そうな笑みを浮かべてドアをくぐるお客さんにそう声をかけて、テーブルを綺麗にするべくフキンを持って移動する。
図書室近くの階段からガタガタと盛大に転げ落ちて目を開けた先、そこにあったのは、自分が落ちた階段でもなく図書室でもなく―――外国風のレトロな町並み、だった。
頭を打ち付けての幻覚か、それとも打ち所が悪くて天国なのか、と一瞬どころではなくココがどこだか本気で分からなくて呆然と座り込んでいるところに営業妨害だと声をかけてきてくれたのはこの喫茶店の店長で。

パニクって、それはもう何がなんだか分からずにあわあわしていると、溜息ひとつ落として喫茶店に引き入れ珈琲をいれてくれた。
暖かな湯気が立ち上る珈琲を見つめながら、階段から落ちたらここだった事、ここがどこだか分からない事、不安でたまらないことをベラベラ喋って。
不思議と喋っていくうちに段々と自分が落ち着いてくるのが分かった。
言葉にして声に出すとちょっと不安が和らぐんだなぁ、とぼんやりと本で読んだ内容を思い出したりもして。
喋りっぱなしで乾いた喉を潤そうと、せっかくいれてもらったのに冷えてしまった珈琲を口にした途端―――ぶっ倒れた、らしい。

次に目を開いた時は知らないベッドの上にいて、見慣れない天井を見つめていたから。
土下座する勢いで謝って、なんだか朝食までいただいてしまい、更に恐縮して身を縮めながら出ていこうとした瞬間、『行くとこはあるのか』そう尋ねられて首を横に振った。

階段から海外へ。
そんなとんでもない展開を最初は受け入れられなかった。
だって、なんだか世にも奇妙な物語とかでありそうな話ではないか。

目が覚めたらどこか知らない外国にいた、なんて。

まさか自分にTVドラマや小説のような内容の事柄が起きるなんて思いもよらなかったし。
こういった時はどうすればいいのか悩みに悩んだ。

着の身着のまま、身ひとつで外国。
心細いことこの上ない。

とりあえず日本大使館を探そう。
この国になかったら近隣の国に移動―――できるかな、パスポートなくて。
などと考えつつ、『いるとこがないならいてもいい』なんて、そんなに親切で大丈夫ですか、とこちらが心配してしまいそうなほど親切な店長さんの(実際行ける所も頼れるとこもなかったから嬉しかった)お言葉に甘える形となった。
しかし、何もせずお世話になりっぱなしは心苦しいと喫茶店を手伝うようになって、一週間、二週間―――いつの間にか一ヶ月。
接客業にも慣れた所で優しい店長と共に買出しに出た先。
そこで普段では見ないものを見た。
背中にかかれた『正義』の二文字。
あれは何だと聞けば、海軍だと返される。

海軍?

海外の軍隊なのに、なんで背中に『正義』なんだろう。
ぐるっと見渡した街並みはどう見てもアジアではない。
オリエンタルな香りは一切しない中での正義の漢字。
海軍、白い軍服、正義の二文字―――ぐるぐると脳内を巡る。
思い当たるのはひとつしかない。
ひとつしかないのだけれど………。
おい、おいおいおいおい。
まさか、まさか、




ワンピースの世界、だったり、するの、か?




いやいやいや、ないない!
ありえない!
だって、紙。
だって、漫画。
『正義』をみて三日間、悩んだ。悩みに悩んだ。
実は打ち所悪くてずーっと夢の中にいるんじゃないか、って。
しかし、どんなに絶望にまみれても、頭が沸騰しちゃうんじゃないかと思うほどに悩んでも時は進んでいくわけで。
不安だらけで眠れなかったし食欲だって落ちて、店では大ポカしたり、気分の浮き沈みが激しくて店長にはかなり迷惑と心配をかけたと思う。
もう来ちゃったんだからなるようにしかならん!
と開き直ったのは半年くらい経ってからだった。



それからはずーっとこの喫茶店で住み込みで働いている。



幸いにしてこの島はグランドラインに浮かんでいるわりには比較的気候も温暖で(春島らしい)豊かな自然が残る綺麗な島だった。
しかも海流のおかげなのか、それとも磁力が弱いからなのか、海賊達が押し寄せてくるということもない。
エターナルポースを持っているらしい観光船や商船、海軍船は時折みるものの、ここで暮らす三年という月日の中で海賊は未だに物語の世界の存在だった。

そう、三年。
開き直るまで半年、順調に接客業を学んで二年半。
まったくといって海賊らしい海賊を見たことがなかった。

だからこそ、本当にここがワンピースの世界?と感じてしまうことが多々あるが、平和な暮らしが出来るというだけでとてつもなく幸運なことなのだと思う。
出来れば元の世界に戻りたいとは思う。
行きたくて入った高校なのだ。
卒業だってしていない。未来の大学生活(キャンパスライフ)だって満喫していない。
だから、出来れば戻りたいと願ってはいる。
のだけれども……まぁ、ここでのんびり人生を終わらせるのもそれはそれでいいものなのかなぁ、なんて―――

「***」

「店長…」

つらつらと今までの事を走馬灯のように思い出していると、まるで逃避するなと言わんばかりの声音に現実へと引きもどされてしまった。

昼のピークも過ぎた頃。
お客さんもまばらとなり、ようやく一息つけると店長と共に安堵の息を吐き出した瞬間だった。
カランカランっと可愛らしい音でドアベルが鳴る。
この喫茶店の扉を開けると鳴るようになっているベルの音に『いらっしゃいませー!』と声を張り上げたのだ。
そこまでは良かった。

「どどどどどどうしたらいいんでしょうか」

「………知らん」

うわ、見捨てられた!
めっちゃ見捨てられた!
この世界で父親とも兄とも慕っていた唯一の存在に!!

「そんな、殺生な」

「離れろといっても聞かなかっただろう」

「だったら引き剥がしてくれるとか」

「さっきやって無駄だったな」




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