短編

□日記小話(犬)
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*現代だけれどもちょっと特殊というか、キャラ崩さないで!という方には向かない流れです…orz
お気をつけて!









「どうりゃいいの、これ」



*
*
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年度末から新年度へ。
バタバタとした日々が続いたのも月を跨げば少しは余裕が出てくる。
久しぶりの休み。
一人暮らしにはやらなければいけないことが山ほど溜まっていた。
洗濯やら布団干し。先週からやりっぱなしの衣替え。
朝から洗濯機を回し、ベランダへ毛布を引き出し、先週から放り出しっぱなしだったクローゼットの中身の整理を済ませてみれば、五月晴れと言うに相応しい真っ青な空が広がっていた。
ベランダから身を乗り出して空を見上げて、息抜きでもするかなぁ、と財布と携帯だけをもって外へと繰り出す。
頬を撫でる爽やかな風と柔らかい日差しにウキウキになって。
近所でも有名なパン屋へと足を運べば、運よく棚には数種類のパンが残っていた。

このパン屋。
看板がない。
歩いていて窓越しにパン棚があるのを見てようやくパン屋だ!と分かるくらいひっそりとした商売をしているのだけども―――売れ行きはまったくもってひっそりではなかった。
看板のないパン屋さんとして近所では有名……否、周囲といったほうがいいほどの広範囲で有名だったりするので売り切れてしまえば午前中に店じまいということも普通にあったりする。

看板はなしい広告も出してはいない。
けれども美味しい物好きのお姉さん方、主婦の奥様方のクチコミを侮ることなかれ。
美味しいのよ、という一言で色々な場所からこの看板のないパン屋を皆が目指してくる。
確かに美味しい。
ここに引っ越してきて、散歩がてらにふらっと寄ったパン屋だったけれど(え?ここ、パン屋なの?と驚きながら恐る恐る入ったのはいい思い出である)あまりの美味さに一口で虜になったほど。

でも、納得のいくほどの種類を購入することが出来たのは数回。
ほんの数回である。
勿論とろけるほどのパンの美味しいのもあるけれど、理由はそれだけではない。
このパン屋のレジを担当している青年の口のうまさも売り上げに貢献しているんじゃなかろうかとひそかに思っていたりする。
眩しいほどの金髪に整った顔立ち。
少々眉毛は個性的だけれど、モデルのようなすらりと体型をした青年が、麗しき乙女、だの、貴方は俺のミューズです、だの。
パンを買いに来たどんな女性にもかける言葉は、なんというか、凄いの一言でしかない。

しかも相手が男性になれば無愛想。
愛想の欠片もない。
目の前に立たれるのもいやだといわんばかりの態度を崩そうともしない。
正直すぎである。
そんな青年の魅力とパンの美味しさで大繁盛なのだと思うけれど、今日は運よく、本当に運よく数種のパンを購入できた。

無愛想なレジ係の青年に代金を支払って、近くの自動販売機で缶コーヒーを買って、公園でちょっと遅めの朝食兼昼食でも、とベンチに腰掛けた瞬間だった。
缶コーヒーを一口煽って、さぁパンを食べるぞー!と自らの隣―――紙袋がある場所へと流した視線の先。
なにもなかった。
なにも。
おいおいおい、パン!
パンは!?
パン、置いたよな!?
ついさっき、ほぼ数秒前にここに置いたよな!?

とテンパって立ち上がってあたりを見渡してみれば、なにやらパンの袋がガサガサと動いている。
怪奇現象か!?
と恐れ戦いたものの、真昼間から紙袋だけ動くってどんなだよ、とある意味太陽を味方にして動く紙袋を追ってみれば―――、

「い、いぬ?」

犬だ。
茶色いもこもことした犬が紙袋を銜え、引き摺るようにして歩いているではないか。
場所や状況が変われば、可愛い萌え映像と捉えてもいいようなものだけれど、あの犬が銜えているのは先ほど買ったばかりのパン。
食べたことのない種類の入ったパンの袋!

「ちょ、ちょっと待った!犬!それは俺のパ―――」

パンだ、とそう声をかけて取り返そうと一歩を踏み出せば、くるりと振り返った動物特有の黒い瞳がこちらを見つめ、脱兎のごとく逃げ出した。
ガサガサガサという紙袋の音を立てて公園内の奥へと逃げていく。
野良犬の逞しさに呆気に取られていたけれど、そのままでいいわけがない。
ちょ、待て!
待った!
マジで!
と紙袋を引き摺る犬を追いかけて公園内をひたすら走る。
名前を出せば、ああ!あの公園ね!と誰もがわかるような有名な公園。
広大な敷地には数々の木々や花々が植えられ、中央に大きな池にはボートまで浮かぶ。
ぐるっと周囲を歩くだけでもいい運動になる、まさに都会のオアシス的な公園は、広い。
かなり、広い。

そんな中を犬との追いかけっこなんて休日にしたくなかったのに、パンを求めてひたすら走る。
植え込みをすり抜け、木々の間を駆け抜け、あっちこっちにと走る犬をどうにかこうにか見失わずに追いかけていけば、未だ子犬の域を出会いであろう茶色い塊が唐突にボタっと紙袋を落とした。
ああ、かけっこに疲れたのか、パンを諦めたのか、と。
ぜーぜー言いながらも地面に落ちてしまった紙袋を拾い上げる。
所々擦り切れ、砂まみれになってしまった紙袋の中身を確認すればやはり悲惨なことになりつつあって。
砂を叩けば食べられるだろうか、まで思いつめた瞬間、

ワンワンワンワン!

足元から元気のいい声があがる。
視線を下げてみれば、先ほどの小さな茶色い犬がこちらに向かって吼え続けているではないか。
まるで『返せ!』とでも言っていそうな抗議を含んだ声に困惑する。
いや、だって、これは元々俺のパンであって…。
そう言いたいのだけれど、必死な形相にかけっこに疲れたのでも、パンを諦めたのでもなく、銜えていた紙袋が切れて落ちてしまっただけなのだと知れた。

かなりの時間犬によって引き摺られてしまった紙袋とパンは悲惨なことになってしまっている。
しょうがないか、と。
めったに手に入らないパンの数々を手放すのは辛いけれど、この小さな犬の空腹が紛れるなら、と。
そろそろと腰を落として、紙袋の口から手を突っ込みパンを取り出そうとした瞬間だった。
ドーンという衝撃が脇腹へと加わり、その衝撃を上手く逃すことが出来ずにダーンと地面へと転がる。

一体全体何が!
何がおこったというのか!、と地面に横たわりながら辺りを見渡せば、先ほどまで元気良くこちらに向かって吼えていた子犬も黒い瞳をまん丸に見開いて驚いているのが見えた。

どういうこと、これ。
俺が一体何をした?
久しぶりの休日を静かにのんびり過ごしたかっただけ。
ただそれだけなのに。

ウーっと威嚇を含んだ声が間近で聞こえる。
間近というか、むしろ、自分自身の身体の上から。
ドーンっという衝撃は吼えていた茶色の犬ではなく、他の犬がこちらに向かって突進してきたもので。
ダーンっと倒れて人間を踏みつけるようにして乗りながらの威嚇。
おおおお恐ろしい!
野生の犬って恐ろしい!
しかも人の上に乗ったまま、傍らにちょこちょこと寄ってきた茶色い子犬のワンワンキャンキャン何から犬語でお話中。
食物連鎖の中で頂点に立つであろう人間様は、犬に踏みつけられながら呆然と呟いたのが、



「どうりゃいいの、これ」



という冒頭の台詞となるのである。






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