NO WHERE.
□25
1ページ/1ページ
降る雪はいつの間にか白ではなくピンクに染まっていた。
ひらひらと舞う、まるで花びらのようなそれを手にしながら振り向けば、予想通りの人物が静かにたたずんでいた。
「綺麗ですね」
「ああ、そうだろう。馬鹿の置き土産、さ」
満足気でありながらもどこか寂しげな顔をあまり見ないように視線を逸らして、降り続くピンクの花弁のような雪を眺める。
「***」
「はい?」
「アンタはどうするんだい」
静かにそう問われ、一瞬、何を指しているのか分からずに言葉に詰まる。
今後の事を言われているのだと気づいて、思わず眉根が寄ってしまった。
「……どうするもなにも……、」
「ワポルが連れて行った医師団が帰ってきちまったからね。この国に医者が溢れてんだよ。そんな中で小間使いを雇ってられるほどの余裕はないよ」
悪びれもなく解雇を口にするドクトリーヌに、もう笑うしかなかった。
コートについたピンクの雪を払う。
「それじゃ、街で仕事を探すことにします。今なら何でもできそうな気がするので」
瀕死だった状態からここまで回復出来たのは、ドクトリーヌとチョッパーのお陰である。
そして世界が違うのだと気づき、混乱し、絶望に取り込まれそうになった時に傍にいてくれたのも、まるで何でもないことのように接してくれたのもドクトリーヌとチョッパーだ。
感謝してもしきれない。
ありがとうございます、ともう一度頭を下げてから
「あ、ドク、ラパーンですが」
「ちゃんと面倒見ておくよ。こっちには牛もいるからね」
「……うし?」
いたか?
そんなものが?
首を傾げながら思い出そうとするが、ドクトリーヌの言う牛に心当たりはなかった。
まぁ、ウサギ達も凶暴ではあるが馬鹿ではない。
手当てをしてくれる人間を襲うこともないだろうし、万が一襲われてもドクトリーヌであれば避ける事も反撃することも朝飯前くらいに容易いかもしれない。
ここでは『医者』が最強だ。
とりあえず街に降りて仕事を探してから、改めて足を運ぼう。
ドクトリーヌはもちろんのこと、ラパーンの元気な姿も確認したい。
「***」
「はい」
「アンタは不思議な子だったよ」
歩を進め、隣に肩を並べるようにして立ったドクトリーを見つめる。
視線は交わることはなく、サングラス越しの瞳は正面を見つめていた。
「忘れそうになっていたものを呼び起こされた。チョッパーもきっとアンタには感謝しているはずだ」
紡ぐ言葉は小さく、ともすれば風に紛れてしまいそうで。
「ドク?」
いきなりどうしたのだろうか、と問いかけるように呼んだ瞬間、右手を掴まれる。
それも強く。
「ここに、アンタの求めるものはないよ」
「それはどうい―――……ドクっ!?」
一体何事か、と訝しげな視線を送る中、目にも留まらぬ速さで間合いを詰められ、ドクトリーヌが伸び上がるように身体を寄せてくる。
慌てて距離を取ろうとした瞬間、首筋へ走った痛みに彼女を跳ね除けるようにして後退した。
降ろした視線の先、ドクトリーヌの手にはいつ取り出したのか空の注射器が見える。
「最初に降り立った場所。それに固執する気持ちは分からんでもないけどね。だが、世界は広い。こんな狭い島でそう何度も『異変』ってのは起きないもんなんだよ」
「なに、を」
ぐらりと身体が傾くのが分かった。
視界が狭まり、心臓が荒く脈打つ。
あえぐように息を吸いながら静かにこちらを見つめてくるその瞳を見返した。
「行ってきな。帰り道を探したいなら世界の果てまで行くくらいの根性を見せな」
にやりと笑うその顔を前に口を開くが、唇が震えるだけで言葉にはならなかった。
視界がハレーションを起こしたかのようにチカチカと光る。
やばい。
大きく息を吸おうとして全身から力が抜ける。
頭が前へ傾ぎ、ピンクに染まった雪が間近に迫るのを感じて慌てて両足へと力を込めた。
二歩ほど大きくふらついてから、手のひらに爪が食い込む勢いで握り込む。
「ラパーンですら昏倒する量を打ち込んでこれかい。本当にバケモノだね」
呆れたような声に、視線だけで抗議するがドクトリーヌは面白そうにこちらを観察しているだけだった。
何を、打たれたのだろう。
首筋に手を当てながら更に後退しようとした腕を素早い動きで掴まれる。
「出来れば二本目はしたくなかったんだが」
その手で光る注射針にゾっとした。
「……ド、……ク…」
痺れる唇をなんとか開き、声を発すればやれやれとばかりに首を振られ、
「この分だとやっても大丈夫そうだね。途中で目が覚めると困るんだよ」
手を振り払おうとして腕を振れば、バランスを崩しかける。
立つのがやっとの状態では逃げることも振り払うことも出来ない。
ドクトリーヌに支えられるようにして辛うじて立っているような身体。
その首筋に走った痛みに、ギリリと睨み上げた先―――そこにあったのは、予想外の笑顔だった。
「アンタとの生活は、楽しかったよ」
パっと手を離される。
支えを失った身体が重力の法則に従い、雪の上に転がるのを覚悟したのだけれど。
ピンクではない、
本来の雪のように真っ白なものに抱きかかえるように支えられ、それが毛皮なのだと思い至った時には、
真っ暗な闇に飲み込まれてしまっていた。
2014.10.10