Law

□ep.11
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「――――ッ!?」

確かに聞こえた。

ローは、読んでいた医学書を乱暴に閉じて投げ捨て、傍らに置いていた刀を
肩に担ぐと部屋を飛び出した。

閉めるのを忘れられたドアが、ぎぃい、と寂しげな音を立てて揺れる。

「あっ…船長!今の声は……!?」
「シャチ、ペンギン、来い!ベポ、お前は精神安定剤と鎮痛剤をあるだけ医務室まで持ってこい、急げ!」
「アイアイ、キャプテン!」

廊下を走りだした途端、シャチ、ペンギン、ベポの三人に出くわし、
ローは短くそう叫んで指示を飛ばすと医務室へと駆け込んだ。

「……チッ、厄介な事になってやがる…!」

開け放たれたドアの先、ロー達三人の眼に飛び込んできたその光景は、
かなり悲惨なものだった。

ベッドで寝ていた筈の藍は片手でシーツを掴んだまま転げ落ち、
その目はこれでもかというほどに見開かれていて額に浮かぶ汗も尋常ではなかった。
呼吸は浅く、肩が忙しなく上下している。
ベッドの周りの床には、ベッド脇のタンスの上にあった果物やらカードやら、
割れた食器までバラまかれていた。

「シャチ、水だ。ペンギンは一応呼吸器を用意しとけ、あとタオルと氷もな」
「了解」

後ろの二人へ重ねて指示を飛ばすと、ローは駆け足で藍の元へ寄る。

「おい。しっかりしろ、俺が分かるか?」

肩を掴んで軽く揺すり、藍の顔を覗き込みながら声を掛けるが、反応は無い。
はっ、はっ、という浅い呼吸音が絶えず繰り返され、顎の先からは汗が滴り落ちている。
チッ、と一つ舌打ちして、ローは藍の体を抱えて持ち上げ、ベッドに寝かせた。
そしてそのまま躊躇なく、藍のシャツの裾に手を掛けると胸の下まで捲り上げる。
その間も藍の目は見開かれていて、何処とも知れぬ宙を見つめていた。

(……異常なし、か)

腹部の傷を一瞥し、状態を確認してローは顔をしかめた。
術後の患部は至って良好な状態だったし、ほぼ治りかけの今もそれは変わっていない。
ということは、やはり――

(精神的なダメージか……)

これは、容易な問題ではない。
藍が此処へ来るまでの経緯は大体聞いているから、藍の精神を病ませているのが
何なのか大方の予想はついているし、藍の心がどれ程深く抉られているのかというのも
それなりに分かっているつもりだ。
しかし――、とローは思う。

自分は医者だ、一度助けた人間は気紛れであろうと何であろうと、完治するまでは
面倒を見ると決めてはいるが、外科の技術に特化した自分には、精神科医の真似事など
出来ない。

しかも、だ。

血を流して倒れていた藍を見つけたのは偶々で、治療をしてやろうと思ったのも偶々だ。
見知らぬ女なぞ、患者でなくなれば何処かの島に降ろす気でいたし、本当に
藍を助けたのは久し振りの気紛れでしかなかった。

だから、藍がどんな心の傷を負っていようと、どんなに精神を病んでいようと、
怪我さえ治せばそれ以上は自分には関係ない事の筈だった。
こちとら海賊なのだ、カウンセリングなんてしてやるほどお人好しでもない。

だが何故だろうか、藍が異世界人だと知った所為なのか、それとも過去の事を
ちらりと聞いてしまった所為なのか。

気が付けば、毎晩の様に魘されている藍の怪我よりも、彼女が見ている夢の事を
気にしてしまうようになっていた。

起きている時には、そんな辛さなどおくびにも出さない。
突然知らぬ世界へやって来てしまった筈だというのに、何を恐れもしない。
常に微笑みを絶やさず過ごす藍という人間は、一体何を考えているのか見当もつかない。
自分達が海賊だと素性を明かした時も、少しだけ目を大きく開いただけでまた笑った。

ローにとってこんなにも分からないことだらけの人間に会うのは、初めての事だった。

「くそっ……!」

ローは、ぎり、と歯を軋ませた。

「キャプテン、持ってきたよ!!」

とそこで、両手一杯に箱を抱えたベポが、どたどたと医務室へ駆け込んできた。
その後に続いて、ペンギンとシャチも駆け込んでくる。

「俺らも用意できました、他にすることは!?」
「少し多めに精神安定剤を飲ませろ。錯乱状態だから下手な刺激はするな、飲ませて落ち着いたら
濡らしたタオルで体の汗を拭いてやれ。 鎮痛剤は取り敢えず今は必要ない、
氷嚢は首筋の後ろに当てろ。それから後は俺が診る」
「はい!」

ペンギンが手早くコップに水を注ぎ、ざらざらと錠剤を手のひらに出す。
流石はローの部下なだけあって、言われた通りの分量は目分量で量れる様だ。

「あァ、後……」

てきぱきと動くペンギンを眺めながら、ローが思い出したようにそう言った。

「睡眠薬も出しとけ、シャチ」
「あ、はいっ!」

少し強めのヤツな、と付け加えて、ローは藍の顔に向き直る。
丁度、ペンギンが藍の上体を起こして支え、薬を飲ませようとしていた。
がしかし、どうやら上手くいかないようだ。

「船長、水が…喉に落ちていきません。口から溢れて……」

意識がはっきりとしていない藍は、口に入れられたものを嚥下しようとしなかった。
普通ならば口へ物を流し込まれたら自然と飲み込む筈なのだが、藍は咳き込んでしまう。
しかし、それだけ精神が錯乱してあらゆるモノに拒否反応を示しているのだとも言えた。

「……水と薬を流し込んで口を押さえろ。そのまま顎を上げさせりゃ、嫌でも飲み込む」
「わかりました」

多少手荒いが、と思いつつもローはペンギンにやらせる。
とにかく、なんとしても精神安定剤だけは飲んでもらわないと困るのだ。
精神錯乱を起こした者は何を仕出かすのか、分かったものじゃない。
突如暴れだしたり泣きわめいたり、挙げ句の果てに自殺なんかしてしまう奴も居る。
流石にこの状況で死にはしないと思う――俺達三人と一匹の隙をついて死ねたらむしろ
凄い――が、下手したら傷を掻きむしって開かせてしまいかねない危うさもある。
精神面の治療はできないといっても、流石にそこは外科医として見過ごす事はできない。

「……飲んだか?」
「ええ、取り敢えずは。効くまでに若干時間がかかりそうですが……」
「それは仕方がねェ。ベポ、タオル貸せ」
「アイアイッ」

藍が薬を飲んだのを確認して、ローは濡れたタオルを手に取った。

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