Law
□ep.29
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「藍ちゃん、追加お願い!」
「やあ藍ちゃん、今日も可愛いねえ」
「藍ちゃんって、ここに住み込みなの? それとも別のとこに住んでるの?」
藍が働き始めて五日ほど経った日に、その男は来店した。
見た目だけで判断するならば二十代後半から三十代前半、若げな雰囲気を醸し出していた
その男はやがて、いくばくもしない内にこの居酒屋で、最も厄介な存在へと変わって
いっていた。
初めの内こそ他の客と同様に、見目のよい藍に対してただ興味を示しているだけのように
思われたのだが、しかしその男は飽きもせず毎日毎日、店が開いている時間帯ならば
ずっと店に入り浸り続け、何かと藍に声を掛け続けた。
しかもその内容は徐々にエスカレートし、最近――というかここ数日の間――では、
給料の額の話や今の暮らしについてやたらと尋ねられ(もちろんプライベートだからと
言って答えてはいないが)、正直"藍目当ての客"という括りで片付けることができなく
なっている。
「ねえ、藍ちゃん。居酒屋の店員なんかよりもさ、もっと自分に合った仕事しなよ。こんなとこに埋もれてたんじゃ、もったいないと思うよ」
「ええ、でも私はこれで分相応な仕事だと思ってますから」
「んー……、じゃあ俺さ、藍ちゃんにぴったりの仕事持ってきてあげる。絶対いくらでもあると思うし」
ね、と、まるで藍に同意を求めるかのようにそう言った男に曖昧に笑いかけ、藍は
両手に空の皿を持って男の席を離れた。
「藍ちゃん、大丈夫か? ……少し休んで、奥に入らないかい?」
厨房に戻れば、バックが気遣うように話し掛けてくる。
その眉間に寄せられた皺と下がった眉尻は、ただ藍が心配なだけではないようだ。
「――全く、困ったもんだねえ」
すると、トントンと足音がして、二階からシンが降りてきた。
相変わらず安物の煙草をふかしている。
「あんまりしつこかったからあの男、ちょいと調べてみたら……様子見するかと思ってたけど、どうやらそうもいかないようだよ」
その顔は決して明るくなく、バック同様に眉間に皺を寄せて深刻そうな表情だった。
ただ一点、バックとの違いを指摘するならば、その眉尻が下がっているのではなく――
キッ、と、きつく上げられているところだろうか。
「何か分かったんですかい、女将さん」
シンの言葉に、バックがすばやく反応する。
シンは額に手を当てて、はあ…と大きく嘆息した。
「ああ……こんなことなら、もっと早くに対処しとくべきだったよ。……全くもって、迂闊だった」
シンが浮かべるその表情は藍がまだ見たことのない、あまりに苦々しげな表情だった。
「あの……シンさん、それはどういう……?」
「……藍、いいかい。これからあたしが言うことを、よーく、聞きな。……あんたの身に関わる、大事なことなんだ」
「…………?」
シンから向けられる視線があまりにも真剣なせいで、藍は困惑したような顔をする。
その深刻さは、いったいどこからきているのか――その時の藍には甚だ疑問であったが
しかし、やがて藍は、その理由を嫌と言うほど知ることとなった。