Law

□ep.8
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「……分かったわ、船長さんの仰る通りに」

にこりと笑って、藍はローに向かってそう意思表示をした。
ローはそれ以降口を開かず、カルテに何やら黙々と書き込んでいる様だった。

そして医務室を出る際に、ふと視線だけで振り返り、

「――連れて出るなら、シャチかペンギンかベポか…ジャンバールにしろ。
 怪我人のお前を守って戦えるか逃がせられるとしたら、あいつらぐらいだ」

と言い残していった。

「…………」

バタンと扉が閉まり、ローの立ち去る足音が完全に聞こえなくなってから、
くすりと藍は笑みをこぼす。

こうしてわざわざ自分を守ることのできるクルーを選んで伝えておくところは親切で抜け目がなく、
医者としては患者を助ける――この場合は守るか――義務があるのだろうから当然なのかもしれないのだが、
やはりそこのところはローの優しさのように思われた。

この三週間、経過観察以外でローは顔を見せなかったが、
至るところでローの親切心は顔を見せていたのだ。

経過観察をしながら、あくまでも単なる思いつきのように好きな果物を聞かれたり、
好みの色やインテリアを聞かれたり。
そしてその“聞き取り”の結果として、シャチやペンギン達がさりげなく
食後のデザートに持ってきてくれたりしていたのだ。
彼らはただデザートがあるとだけ言って持ってきて、藍が美味しそうに食べればそれで満足そうだった。
藍はもちろん、そのデザートに入っていた果物が自分の好きな果物だと気づいていて、
尚且つシャチやペンギン達も気づかれていると(シャチは違うかもしれないが)
分かっていたのだろうが、それでも彼らはあえてローの名を出さなかった。
『船長が言っていた』とひとこと言えば、『ああそうなのか』とそれだけで済んだことだ。
だが言わなかったのは恐らく、ローが望んでいないのだろうと藍は当たりをつけた。

そして藍の中で、ローの性格はこう位置づけられた。

人に対する思いやりやさりげない優しさ、気遣いを持つけれども、
それをはっきりと指摘されること、認識されてしまうことを――決して良しとしないのだ。

藍からしてみれば、まるで子供の照れ隠しの様であった。
だがそれと同時に、初めて出会ったタイプでもあり――新鮮なことでもあった。

藍はふと、元の世界のことを思い出した。
『こちら』に来てほぼ一ヶ月が過ぎ、今となっては遠い――何ら特徴のない、
普通の会社に勤めていたあの頃のことを。

これまで出会った異性のタイプと言えば、自分への気遣いや優しさを
もろに表へ出し、むしろその気遣いや優しさを評価してほしいと言わんばかりだった。

こんなことを自分で言うのも何だが――自分はそれなりに見目が良い。
第一印象で異性に惚れられることも、少なからずあった。
だからこその大変さや辛さというものもあったのだが、
周囲の人間は“異性に惚れられる”ということそのものを羨んで、
むしろ“惚れられる”ことにほとほと疲れ果てていた藍を『傲慢だ』、と。
さりげなく同僚の女性に厭味を言われることだとて、日常茶飯事だった。

自分は強い、これしきのことで折れてしまうほど気弱に育てられていない。

そう己を信じていたがしかし、やはり自分にも限界点はあった様で。
ある時ついに耐えられなくなってしまい、お茶を淹れにと立ち寄った給湯室で、
一人きりだったせいもあったのだろう――涙を抑えられなかった。
かろうじて嗚咽を漏らすことだけは堪えていたが、それでも次から次へと溢れてくる涙を
どうにもできなくて、ただ立ち尽くして泣いていた。

そうしてどれくらい時間が立っただろう。

『彼』に出会ったのはまさに、その時だった。






回想――想いは回り、巡り続ける。
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