魔人探偵脳噛ネウロ2
□企画リク第一弾
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『幻影』
日本を発つ前に取った運転免許は案の定バッグの中で眠らせたまま、使う必要も訪れず気が付くと私は立派なペーパードライバーになっていた。
とは言ってもたった一年放置しただけだし、体で覚えた技術なら若さで取り戻せると、たかをくくってお母さんの車を拝借したまでは良かったけれど、これは正直失敗した。
「はあ‥疲れた」
混み合う都内の渋滞は流れも遅かったので何とか乗りきれたけど、首都高はそうはいかない。
安全な車間距離を保とうとすれば隣りの車線からは待ってましたとばかりに1-BOXは割り込んでくるわ、速度を落とせば後続のセダンは煽るわで、自宅を出てからさほど経つ訳でもないのにもう神経はくたくたになっている。
‥隣りに笹塚さんが居てくれたら
もしかして、いやきっとこんなに疲れたりしなかった。
必死になってハンドルを握る私を見て苦笑のひとつでも零して、何か良いアドバイスでもくれたにも違いない。
誰もいない助手席にちらりと目を遣った瞬間、また右手前の車に割り込みをかけられた。
ああ、疲れる
川口から乗った高速は滑るように快適で、それまでガチガチだった私の腕の力がふっと抜ける。
大きく右に孤を描く下り坂の向こうに見える山の景色は、もう秋の気配だ。
関東はまだまだ夏の盛りだというのに、少し北へ向かっただけでこうも気候が変わるのは日本が北と南へ縦長にのびる国なのだと、改めて実感出来て面白い。
私の車を追い越したトラックのナンバーが目的地の地名だと確認した矢先、曇り空から頼りない雨粒が落ちてきた。
東北の夏は短い。
束の間の強い日差しに精一杯恩恵を受けた水田は今、誇らしげに実りの時を待って風に揺れている。
東から吹く風に撫でられた霧雨がフロントガラスを覆ったので、私はワイパーを動かして水滴を拭うと左へとウィンカーを出した。
「‥それなら、この先の信号を右折して道なりに行くと近いかな」
「ありがとうございます」
料金所の男性が親指で指し示す先を見ながらお礼を言うと、私は受け取った釣銭をコインホルダー代わりに使っている灰皿へと押し込んでからアクセルをゆっくりと踏んだ。
我ながらたいしたもんよね
この数年、学校に居る間からも休みを縫って世界
を渡り歩いたおかげで、度胸だけは誰にも負けない位ついてしまった。
ペーパードライバーがいきなりの遠出なんて、まさにそれの賜物だよね。
笹塚さん、笑う?
笑ってよ、笹塚さん
疑問と願望を同時に思い浮かべると、少し胸の奥が痛んだ。
記憶を頼りに幹線道路から細い町道へと車を走らせる。
確かこの道を登っていけば、むかし笹塚さんと来た神社があった筈。
それは、来る未来の悲劇をまだ知らなかった頃の話。
ただ彼の傍に居られる事が楽しくて幸せで、デートの帰り道で遭遇した秋祭りに誘われて、小さな神社に立ち寄ったんだ。
今でもはっきりと覚えているのはあの時の、笹塚さんの困ったように微笑う横顔と蒼い月の光。
温もりと、煙草の匂い。
思い出の場所なら数多くあるけれど何故ここを選んでしまったのか。
いや、そもそも今の今までそんな感傷的な事なんかしようと思ってもみなかったのに‥何故。
何となく、その答えが其処にあるような気がした。
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