nov1
□優しくて、ため息
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授業が終わるチャイムが鳴った。
突然目の前に飴をぽとりと置かれて、ん?とその張本人を見上げると、「あげる」と言って微笑んでいた。
「え、あ、ありがと‥‥」
「んーん、これ、こないだのノートのお礼だから」
ありがと、とお礼にお礼で返されて、こないだという言葉の意味を必死で探した。
「あ、」
あのときの、そっか、初めて水戸君が話しかけてくれたときだ。
そう思い出して、目の前に水戸君がいるのに思わずにやけてしまった。
(わわ、見られた‥‥)
「なんかいいことあった?」
ん?と促すように片眉を動かす水戸君に、「え、あ、その」と言葉を濁すと「怪しー」と笑われてしまった。
「別に、怪しいことじゃ‥」
「じゃーなに?」
「えっと‥‥‥席替えの日のことを、思い出して‥」
今の答えは、おかしくないだろうか。
笑われたりしないだろうか、そんな不安に駆られながらも、泳ぐ目をゆっくりと水戸君に顔へとやると、そこには優しい目をした彼がいた。
「‥‥そっか、もう何日か経つんだ、」
「う、うん、」
言われて、慌てて黒板に書かれた日付を確認すると、もう既にあれから1週間以上が過ぎてしまっていて。
(もう、そんなに経つのかぁ。)
きっと1ヶ月なんてあっという間なんだろう。
そう考えると、ひどく憂鬱な気持ちになる。
せっかく。
せっかくこんな、素敵な時間を過ごせる場所を手に入れたのに。
終わりが来ることを思えば、やっぱり知らなければよかったと、そう思いもする。
水戸君が振り向いてくれたそのときから。
この心地よさは、なにものにも代えられない私の、大切な日常へと変化して。
もう、それが無くなってしまうことなど、想像さえできない。
(前の席のとき私は、どんな風に過ごしてた?)
「あー、じゃあ1ヶ月もすぐ来るんかな、」
「うん、そだね‥‥」
「寂しい」も「残念だね、」も言いたくなくて。
「やだな」とは、言えるはずもなくて。
ただ視線を落として、手元の飴の包装紙をかさかさ弄るだけの私に、「面倒だなー」という言葉が降ってきた。
「え、」
「移動とかさ、荷物いっぱいあるし。
ずっとこの席ならいいのにな、
そう思わねぇ?」
(う、わ‥‥‥)
「う、うん!思う、思います!すごく!」
「ぶはっ、なんで急に敬語?」
「え、いやその、ちょっと、興奮して‥」
「やっぱみょうじさんおもしれー、」
けらけら笑う水戸君を尻目に、私は赤くなるほっぺたを手のひらで隠すのに精一杯で。
まさか、あんなことを言われるとは。
(びっくり‥‥した、)
たとえ、水戸君の意思がどこか別のところにあったとしても、その言葉は私にとてつもなく大きな何かをくれた気がする。
一緒にいることを、許してくれたような。
そんな感覚。
「あー、でも。良かった、みょうじさんが同意してくれて、」
「え?」
「あ、いや何でも。」
目尻を拭う水戸君の言葉に反応した私に、咄嗟に口を覆って、気にしねぇで、とだけ告げてまたくるりと私に背中を向けてしまった。
(あ、チャイム‥‥)
こんなときばかり。
そう、水戸君の背中しか見えていない状況では、「寂しい」とも「残念」とも簡単に呟けてしまうのに。もちろん心の中だけで。
水戸君には聞かれないように、なるべく小さくため息をついて、さっきもらったいちご味の飴をそっとポケットにしまった。
end