長編

□贄牢の蒼狐【ガードレール】
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ウィィィィン…


所々に筋の入った透明なフィルムが、今にも敗れてしまいそうな程に古ぼけた紙を覆い、ピッタリと張り付く

「これで良し!」

機械から出てきた転印紙を確認し、うんうんと満足げに絢は笑う

これで少々手荒に扱ったり、濡れてしまっても多分大丈夫だろう
ラミネート加工を施された転印紙は特殊な技術で筋がついているので折りたため、背中に回すタイプのボディバッグにもすっぽりと収まる

社用の機械ではあるが「少しだけなら目を瞑る」という寛大な心を持つ上のおかげで、こうした恩恵があるのは正直とても助かる
流石に転印紙の為だけに機械を買うわけにもいかないからな


持つべきは腹を割って話せる友と理解のある上司とは言ったもので

「ホント、社長様々だな」


ガチャッ


「絢、次の現場に行くぞ」

休憩が終わったのか、沢森さんが扉の隙間から顔を覗かせた

「はい、今行きますっ」



「新しく配属された奴おるやろ」

後部座席に用具を乗せていると、運転席に座った沢森さんが顔だけこちらに向けて話しかけてきた

「ええ
確か、支社から回されたとか何とか…」

「そいつ、急遽現場が一緒になったで」

「え…大丈夫ですか?」

今日はハウスクリーニングなのだが、依頼人が気難しい事で有名な婆さんなのだ
朝に短めの挨拶をしていた新人は気弱そうというか、何というか…接客には向いていないタイプだった

本当は優しい依頼主や簡単な仕事から始めるものなのだが、生憎、現在入っている仕事で一番新人の研修に適しているのが絢の受け持った依頼だけのようだ

人手不足なので簡単に辞めてしまわないよう心の中で願っていると、噂の新人が息を切らしながら小走りで車に駆け寄ってきた

「おおお…遅れて、す、みませ…んっ
まま…迷ってしまって…」

用具を抱き抱えながらオドオドと沢森さんに頭を下げ、次いで絢にも下げる新人の糀谷(こうじや)
額にはフルマラソンでもしたのかと思うほどに汗をかいている

「遅れてないから大丈夫
荷物はここに乗せて」

「ははは、はい…!」

仕事中に倒れたりはしない…よな?

まだ仕事が始まってすらいないのに、細くて体力が無さそうなうえ、あまり顔色が良くない新人に絢は不安になる
後部座席に乗り込んで俯く糀谷にチラッと視線を送り、出来るだけ前には出さずに俺と沢森さんで対応するかと心に決める絢だった



いや、なんでだよ…


「貴方に任せたとこ、頼んだカビが全然取れてないじゃない!!
こんな仕事でお金を取られるとか、たまったもんじゃ…!」

怒鳴りつけられ、震える糀谷を背に庇いながら沢森さんと絢は今にも火を吹き出しそうな鬼の形相で喚き散らす依頼人に頭を下げて謝罪する

ひたすら謝り、本日分の依頼料は頂かないということで何とか溜飲を下げてもらえたのだが、これは後で会社に連絡が入るんだろうな…と思うと、憂鬱になった

だが、今回は怒られても仕方ないといえる

やはりというか、糀谷が依頼人である婆さんの気の強さに圧倒され、挨拶を吃ってしまったのが始まりだった
それでも、その時は「今時の子は挨拶もまともに云々」と小声で文句を言う程度で済んでいたのだが、糀谷はその物言いで既に戦意喪失、震えてしまっていた

こりゃ駄目だと思ったんだろうな
沢森さんが人目があると緊張するだろうからと配慮し、糀谷には依頼人の目が届きにくい浴室の掃除を任した

依頼人の目が届きやすいところには、神経が太くこういう人間の扱いには慣れているだろうからということで絢が矢面に立たされることになる

学生時代からアルバイトで接客ばかりしていたので、確かに慣れてはいるものの
四六時中見張られているのかと思うほどこちらの一挙一動を見ているし、随時話しかけられるしで…
その度に愛想笑顔を振り撒きつつ掃除し続けるのも大変なので、たまには交代してほしいと思ったり

仕事に集中してぇ…と、プライバシーを根掘り葉掘り聞いてこようとする婆さんに笑顔を崩さず、話をひょいひょいと躱していたのだが

多分、トイレにでも行こうとしたんだろうな

席を離れたので、今のうちにとキッチンの排水溝にゴム手袋を装着した手を突っ込んだ、その時


「ちょっと!
貴方、何をしているのよ!!」


近所に響き渡っているのではないかと思うほどの大きな怒声

一瞬、自分が何かやらかしたのかと驚いて振り返っても婆さんはおらず
その代わり、浴室の方から婆さんの怒鳴り声と慌てているであろう沢森さんの声が聞こえてきたんだ





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