□かりそめではない愛を
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「ピノコ、晩御飯……」
少し遠慮がちに呟くブラック・ジャックを横目で見ると、ピノコは冷たく言い放った
「自分れ作えば?そえより、先生は新婚さんなんやかや、あっちのオクタンに作ってもやえば?」
「あ……」
プイッと顔を背け、ピノコはリビングから出ていった
「参ったなぁ……」
深いため息をつくと、ブラック・ジャックは椅子に座り、頬杖をついた
ピノコが不機嫌な訳はわかっていた
実は先週、ブラック・ジャックは結婚式を挙げていた
相手は『青鳥ミチル』という若い女性だった
しかし、この結婚式はかりそめの結婚式で、本当に彼女と夫婦になった訳ではない
ミチルはかなり進行の進んだ末期癌患者で、本人もその事を理解しており、ミチルは最後の願いにウェディングドレスを着て結婚式を挙げたいと両親に訴え、最初にドアを開けて病室に入ってきた男性と結婚式をすると宣言した
偶然にも手術の執刀を依頼されたブラック・ジャックが最初に入室し、その結果、ミチルの結婚式の相手として選ばれたのだった
嘘の結婚式といえ、神の御名において夫婦の宣言をするのだ
ブラック・ジャックが首を縦に振るわけがない
だが、両親とミチルの決意は固く、手術料として1000万円を貰う代わりに、ブラック・ジャックは嘘の結婚式を承諾したのだった
ミチルの病状は深刻であと数日の命と診断されており、取り急ぎブラック・ジャックとミチルは結婚式を挙げ、ブラック・ジャックはそのまま彼女の手術を実行した
それが先週の話である
幸い、ミチルの手術は成功し、術後の経過も良好だった
だがしかし、女の勘は鋭く、ピノコに結婚式の事がばれてしまった
ブラック・ジャックは敢えてピノコには秘密にしていたのだが、何処から聞いたのか、昨晩ブラック・ジャックが病院から戻ってきた時には、ブラック・ジャックがミチルと結婚式を挙げたのをピノコは知っていた
リビングに入ってピノコの顔を見るなり、瞬時にブラック・ジャックは悟った
ミチルとの結婚式の事がピノコにばれたのを……
怒りで台風の様になっているピノコからマシンガンの様な質問責めにあい、ブラック・ジャックはしどろもどろに言い訳を繰り返した
手術をする為に嘘の挙式をしたのだと、何度説明してみても、ピノコは納得しなかった
彼女に言わせれば、正式に結婚をしていなくても自分は彼の妻という自負がある
その妻である自分の存在がありながら、嘘とはいえ他の女と結婚式を挙げるなんて言語道断!という事らしかった
それ以上に、自分すら彼と結婚式を挙げていないのに、何処の馬の骨か知らない女と結婚式を挙げたブラック・ジャックに、ピノコは憤慨していた
どんなに宥めすかしても、どんなに謝っても、ピノコの怒りは収まらなかった
結果、二人は口論から言い争いになり、現在冷戦状態になっていた
「ふぅ……」
もう、何度目かわからないため息をつくと、ブラック・ジャックはぼんやりと今の状態について考えていた
仕事の上とはいえ、ピノコに内緒で他の女性と結婚式を挙げたのはまずかった、とブラック・ジャックは後悔していた
挙げるなら挙げるで、完全にピノコにはわからない様にするべきだったのだ
どんなに彼女が自分との結婚を望み、今の彼女の姿では自分と結婚式を挙げるのは、年齢的にも肉体的にも無理なのだと自分に言い聞かせているのを知っているだけに、彼女の怒りが並々ならぬ事だと感じていた
彼女を傷つけるつもりじゃなかったのに、結果として彼女の心を傷つけてしまった
彼女の望みを叶えてあげる事の出来ない自分のふがいなさに苛立ち、ブラック・ジャックは再びため息をついた
傍にいるのに触れる事も出来ず、刺すような鋭く冷たい視線と、会話も無く笑顔すら向けてくれない
たった一晩しか経っていないのに、ブラック・ジャックにはその事が何より堪えていた
仕事で離れているのは耐えられる
何故なら、離れていても心は常に繋がっていると感じるからだ
だが、現在の様に、傍にいるのに心が離れているのは、彼にとって息が出来なくなるくらい耐えがたい事だった
想いが募れば募るほど、心も身体も彼女を欲してしまう
そんな考え無しの自分に腹立ちながら、ブラック・ジャックはリビングで独り、頬杖をつきながら暫く考え込んでいた
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