宝石の国の薔薇薬

□序章
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 湖上に浮ぶ象牙色(アイボリー)の城。爽やかなアイリスの生い茂る庭の中で、剣の稽古をしている十歳ほどの〈少年〉がいた。
「体力はついたが、型がなってないなぁ、マリー」
 草の上に悠然と腰掛けた壮年の男が声を掛けた。
 マリーと呼ばれた〈少年〉は星のような銀の短髪を揺らして、息を切らせながら応える。
「オールセンのおじさん!そんなとこでのんびりしてないで、僕の相手をしてよ」
「わかったよ。どっからでもかかってこい!」
 男は立ち上がって長剣を構えた。
「はああああ!」
 マリーは一気に間を詰めて、男に向かって剣を振り上げた。
 途端、剣戟の衝突する鋭い音が響く。
「やああ!」
 何度も何度もマリーは剣を振るった。
(あと、もう少し……!)
 マリーよりずっと背の高い男をどんどん追い詰める。
 しかし。
「隙あり!」
「あっ!?」
 自分の手からいつの間にか剣が消えている。
 と、思ったら背後の芝生に剣の突き刺さる音が聞こえた。
「詰めが甘いな。優勢になったからって、自分の持久力も考えずに油断するなよ」
 息一つ乱さず、落ち着いた低めの声で男が諭した。
 どうやらマリーの剣はおじさんに振り落とされたらしい。今更気がついた。
「どうしてっ!おじさん、こんなに強かったの!?」
「そりゃあ、お前、今までは手加減してたからなあ。ちっちゃい女の子相手に本気は出さん」
「――いいかげん僕を女の子扱いしないでよ」
「わかってるって。落ち着いて、未来の騎士様?お前が強くなったから、手加減をやめたんだよ。俺を追い越すくらい頑張ってみな」
「うん!僕、王太子殿下をせいいっぱい、お守りする!」
「その調子だ!」
  にっかと男は微笑んだ。
 ご機嫌の様子でマリーは柄の装飾を撫でた。

 王族に次ぐ名門貴族、クラウゼヴィッツ家。
 その直系の侯爵令嬢マリアンネ、というのが〈少年〉マリーの正体だ。
 彼女はしかし、剣術や馬術にしか興味がなかったため、現在もこうして少年の格好をして稽古に励んでいる。
 剣術の手解きをするのは、母方の叔父、ヴェルナー・オールセン。娘の趣味に寛容な母が、弟に指導を頼んでくれたのだ。
 師、ヴェルナーの息子は王族を護衛する近衛騎士である。だから自分もそうなりたい、というのがマリーの専らの夢だった。友人でもある王太子のために戦いたい。

 マリーはこのとき予想だにしていなかった。

 自分が違う形で王太子を『守る』日が来るとは。
 

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