短編小説
□焼きついた残像
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緑の人工芝、前後左右に広がる観客席、眩しく俺たちを照らす空。
アリーナコート。
随分と見慣れた景色だ。ただの一点を除いては。
俺はラケットを握り、黄色いテニスボールを投げ、相手のコートにサーブを打った。
打つ。打ち返す。また打ち返す。音だけが響く。
そんな事はできっこないのに。
だって、相手の姿が見えないのだから。
彼は、透明なのだ。それだから、見えないのは当たり前。
(…どういう事だ?)
おかしい。
さっきまでは見えていたはずだ。なのに今は彼の身体も飛び交うボールも、応援する仲間や観客さえも、全部が消えてしまっている。
一人でコートをさまよっているような、錯覚。
試合そっちのけでそんなことを考えているのに、ゲームは決まらずに淡々とラリーは続く。
…そして、それが終わる気配は唐突に訪れた。
返ってきたボールが真っ二つに割れたのだ。
見えないはずなのに、何故か感じる。ボールは、フタツニワレタ。
姿のない相手は、いつの間にかとても大きくなっていた。
だからこそ、俺は必死になった。
まぶろうように地面を蹴って、駆け出す。
騒音が掻き消して聞こえないけど、祈るように何かを叫んだ気がした。
結末は、とっくに知っているのに。
それでもがむしゃらに、半月型のボールに二度食らいついて、なんとか打ち返す。
「…!!」
そして、次の瞬間。
視界が黒く染まった。
頭上を見つめる。
逆光で、今の今まで見えなかった彼の身体が「黒く」くりぬかれたように目に映った。
半分に分かれたボールはまた一つになって、俺にのしかかってくる。
俺は目を見開くばかりで、一歩も動けない。
どんどん。どんどん。
速度をあげて、巨大なボールが俺に大きな影を落とした。
――――潰れる。
「…ら、幸村、起きろ」
「…はっ!?」
急に呼びかけられて、俺は夢の世界からバンジージャンプで飛び出したみたいに肩をはねさせた。
…ここは、バスの中?
寝起きで一瞬頭がついて来ない。
それでも、すぐ思い出せた。
俺たちは全国大会を終えて、帰りの送迎バスに乗っている。
…気づかないうちに眠ってしまったのか。
「…随分、うなされていたようだな」
隣の席から、前を向いたまま静かに真田が話し掛けてきた。
俺も軽く俯いて苦笑いしてみせる。
「ああ…恥ずかしいところを見られちゃったな」
「とりあえず、汗を拭け」
「ありがとう」
真田が俺を気遣って備え付けのタオルを差し出した。
…冷や汗までかいていたのか。これは本当にちょっと恥ずかしいかもしれない。
「………」
俺は額を拭いながらふと、真田の方をちらりと見た。
帽子を目深にかぶっている。
制服なのにおかしいよ、と言おうとしたがやめておいた。
いつもだったら、笑いながら指摘するだろうけど。祖父に貰ったらしい大切な帽子、その下の瞳を今は誰にも見られたくないのだろう。
だから俺は黙って窓の外を見た。
素早く後ろに流れていくコンクリートの道路と、ゆっくりと移動する遠くの街路樹に目を向けたあと空を見る。
青空に一つ、太陽が浮かんでいる。
でも、それだけじゃなかった。
もうひとつ浮き上がっているものがある。
その日暈に被せるように映った、小さい点。
「黒い」テニスボールが、この目に焼き付いた。
夢のことを数瞬思い出す。
俺の今までを全て塗り潰していった悪魔じみた色が、光に混ざってのしかかってくるようだ。
…未来がなくなった俺たちに、過去はこんなにも重い。
自分の手で立海の歴史を塗り替えることはもうできない。
だからこそ、俺は過去を諦める。
また新しいスタートラインに立って、上を目指すだけ。
常勝は、揺るがない…
俺はまた、鎖のようにこの言葉を心にきつく巻き付けた。
そうすれば、脅すように光るあの黒いテニスボールを、いつか忘れられるだろうから。
焼き付いた残像