『花音-Kanon-』
□過去・スケープゴートの小さな願い
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花音-Kanon-
過去・スケープゴートの小さな願い
―――十数年前、渋谷でスカウトされて飛び込んだ芸能界。
右も左もわからない状態だった。
デビューしても当然いつも仕事があるわけじゃなく、ボイトレやダンスなどの基礎レッスン以外は全くの空白だらけのスケジュール。
それでも事務所の立てたレッスン・スケジュールをこなす毎日を過ごしていた、そんなある日。
初めての歌番組収録のためにTV局に向かい、駐車場に車を停めに行ったマネージャーの山田さんを待っている時に、何気なくこの日歌う歌を呟くように歌っていた。
と、そのとき不意に声を掛けられた。
「キミ……歌うの? どんな歌を歌ってる?」
そこにいたのは、人気ロックバンドJADEのヴォーカル、神堂春。
突然、雲の上の人だと思っていた人に声を掛けられて舞い上がってしまい、説明するよりも早いと思ってしまった私は臆さずに彼の前で歌った。
その瞬間、彼の瞳が微かに見開くように動いたけれど、私はそのまま歌い続ける。
「……」
神堂さんは何も言わずに歌を聴き続けてくれ、やがて歌い終わった私はふと我に返った。
(うわ、神堂さんの前で下手な歌、歌っちゃった…!)
歌手である以上、自分の歌に自信を持たなくてはいけないのだろうけど、天才といわれている彼の前で歌うとは……。
「す、すみま」
「―――いい声だな」
私が謝る言葉を発するのと同時に神堂さんは少し口角をあげてそう言った。
(え……?)
彼は少し考える風にしたかと思うと、「じゃ、また」と立ち去ってしまう。
そのときの薄い反応に歌うんじゃなかったと少し落ち込んでいた。
が、数日して―――声を気にいったというだけの理由で、神堂さんが私をプロデュースしたいという、とんでもなく前代未聞の申し込みが入る。
「紫葵ちゃん、これはチャンスだよ」
少し興奮気味の社長にそう言われ、不安な気持ちはあった。
けれど、周りの人たちの勧めややってみたいという好奇心も手伝って、神堂さんにプロデュースしてもらうことをお願いすることになった。
と、同時に。
彼からの課題やこれまで以上のボイトレやダンスのレッスンが怒涛のように始まり、家に帰ってはお風呂に入ってすぐに就寝という日々が始まった。