『花音-Kanon-』
□過去・思い出はセピア色に染めかえて
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「……そう。 わかった。
今回は仕方ないが、ただ、紫葵にはこれからも《JADEの歌姫》として活動してもらいたい」
続けられたその言葉に目を瞬かせながら、思わず聞き返す。
「え……いま、なんて……」
「キミの声はまだまだ進化する。 オレはそれを見届けたいし、キミを見い出した以上、進化させる義務がある。 私的なことでキミの進化を止めるわけにはいかない。
辛いこともあるだろうが、これからも一緒に活動して欲しい」
神堂さんは真摯な表情で、だけど声音は穏やかに、そう言ってくれた―――とても嬉しい言葉を。
想定していたものとは違う言葉に瞬時には反応できなかったけれど、じわじわと安堵と喜びがこみ上げてくる。
芸能界を引退する覚悟は出来ていても、やはり心のどこかに諦めきれない自分がいたことを知る。
私は思わず、
「ありがとうございます! よろしくお願いします!!」
と、バッと頭を下げた。
「それから…事務所には妊娠のことは話した?」
「……いえ、それはまだ…」
中絶出来ない週数になるまで隠しておくつもりだったから、当然、事務所にはまだ伝えていない。
そもそも、この妊娠は市販の検査薬で調べただけで、病院で診断されたのは昨日神堂さんに連れられて行ったのが初めてだったのだ。
「じゃあ、ツアーゲスト降板の話はまだしないほうがいい?」
「それ、は……」
神堂さんは気を使ってか、そう言ってくれるけれど私には答えることが出来なかった。
常識から考えて、一刻も早く事務所に伝えるのは至極当たり前のことだ。
私がツアーゲストを降板するために別の人を立てなくてはいけないだろうし、私自身の他の仕事にも差し支える。
だけど、万が一、父親がわからないのであれば堕胎するようにと言われた時のことを考えると、口のするのが怖かった。
父親を明かさずに未婚のままで子どもを産みたいというのは私のワガママだ。
そして、芸能界に残りたいということも私のワガママ。
また、それによって事務所に損害が出る可能性があることも頭の中ではわかっている。
自分の意志を通したいという強い思いは、周りに迷惑を掛けてしまうことに等しい。
だけど私にとっては両方とも選択したい事柄であり、片方を諦めるコトはしたくない。
答えに窮して俯いてしまった私の頭を、いつの間にかそばに来ていた神堂さんがその胸にそっと抱いた。