きまぐれ猫とキセキ。

□side He
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一時間目が移動教室だったその日、オレは時間にゆとりをもってゆっくりと教室を出て、暑いぐらいの陽気だったために途中で脱いだジャケットを腕にかけてのんびりと歩いていた。今思えばそのせいかもしれないが、階段に差し掛かったところで二人組の女の子たちに話しかけられて、ついつい足を止めてしまった。ゆっくり歩いていたオレを見つけて、話しかけるチャンスだと思って話しかけてきたその子達に腕を絡められてしまって身動きの取れなくなったオレに、ファンの女の子たちがどんどん群がってきて、踊り場についたころには女の子に囲まれたオレのせいで人が通れないぐらいになってしまっていた。

ファンになってくれて有難いとはいえ、毎度毎度こうではうんざりするのも致し方ないと思う。しかし、モデルをやっている自分にとってファンの女の子たちは神様だ。そんな女の子たちを無碍になどできない、と自分に言い聞かせていつも通りの営業スマイルを顔に貼り付けた。

どのくらいそうしていたのか、ふと腕に付けていた時計を見ると、授業開始の10分前を指していた。このぶんだと授業に間に合うかどうかわからないなと、半ばあきらめつつ視線を遠くにやる。

すると、視界にふと自分の周りでは珍しい黒髪がうつった。階段の半ばで人であふれる踊り場を見つめ、通るために隙間を探しているのかキョロキョロと頭を動かすたびにふわふわとゆれる真っ黒な髪。パッチリしているわけではなく、伏し目がちな瞳。まったく化粧をしていない白い肌。自分の周りに群がる子達とはまた違うが、かわいいと分類されるであろう容姿のその子。周りの女の子に話しかけられて初めてその子を見つめていた自分に気づき、我に返って再び女の子たちに笑いかけた。

チラリとその子を見ると、ギリギリ一人通れるか通れないかしか空いていない踊り場のスペースを見つけ、意を決したように階段から踊り場へ足を踏み出そうとしているところだった。

と、同時にその少女の近くにいた女の子とオレの目がばちっと音が鳴りそうなぐらいに合って、条件反射でオレが笑いかけると、女の子は顔を真っ赤に染めて友人であろう隣にいた女の子に飛びついた。


「こ!こっち見た!!」

「え、」

「わ、きゃ!」


飛びついた女の子にぶつかった反動で、黒髪の少女の体がゆっくりと階段の方に傾いていく。

その様子を見て反射的に、オレは駆けだしていた。勢いよく駆けだしたせいで周りにいた女の子の何人かはこけていまって短い悲鳴が聞こえたが、今は気にしていられない。階段の下にいた人たちから悲鳴が聞こえるなか、どんどん落下していく少女の腕をグイッと引き寄せて自分の腕の中に閉じ込めた。ちゃんと抱きしめることができたことに安堵を覚えつつ、階段を転げ落ちているために体に突き刺さる衝撃に耐えるため、腕のなかの少女に倣って固く目をつぶった。


「…っ、てぇ……」


鈍い痛みを訴える左腕に顔をしかめつつもゆっくりと体を起こし、腕の中に閉じ込めた少女の顔を覗き込む。恐る恐るといった様子で目をあけた少女は、オレの顔を視界にとらえるとその漆黒の瞳を驚いたように見開いたので、安心させるためにも、と柔らかな笑みを浮かべて声をかけた。


「大丈夫っすか?」


声をかけられてはじかれたように動き出した少女は、腕の中から勢いよく這い出してオレの左腕をとった。顔の近さに赤面するわけでもワタワタするわけでもない、思いもよらない行動と赤くなっているオレの腕を見て眉を八の字にしていることに驚いてされるがままになっていると、心配そうな声が耳に届いた。


「わ、わわ、腕!赤くなってる…」

「、え?あぁ、これくらい大丈夫っすよ。それより、ケガとかないっすか?」


予想外にも純粋にケガの心配をしてくれた少女に驚いて返答が一歩遅れてしまったが、すぐに笑みを浮かべて掴んでいた腕をやんわりとはずして尋ねると、俯いていた顔をばっとあげた。


「あ。大丈夫で、って、違う!ちょっとそこにいて!」


きゅっと眉を寄せてびしっと指をさされ、驚いて勢いよく立ち上がってパタパタと走り去る少女の後姿を呆然と見つめていると、わらわらと女の子たちが集まってきた。


「黄瀬くん、大丈夫?」

「ケガしてる…」

「ぅわ、痛そう」

「びっくりしたー」

「心配してくれてありがとう。でも大丈夫っすよー」


心配そうな表情の女の子たちに笑みを送ると、顔を赤らめて黄色い声を上げる。そしてまた他愛もないことをそれぞれ話し始める。オレはおいえば、女の子たちが話している内容はほぼ聞き流し、赤くなっている自身の腕を見て安堵のため息をついた。


「(まだ左腕でよかった…)」


自分の利き腕は右。最近バスケをはじめ、その面白さにハマりつつあるにもかかわらず、ケガでもして部活に行けなくなってしまってはつまらないので、この程度のケガで済んでよかった、と黄瀬は安堵した。


「ちょ、っとごめん!」

「あ」


帰ってきた。
女の子の壁をかき分けて、いまだ座り込んだままの自分の近くにぺたりと座った女の子の手にはハンカチ。


「腕!見せて」

「あ、はいっス」


有無をいわさない様子でかけられた言葉に素直に左腕を出す。赤くなった腕を見て申し訳なさそうに顔をゆがませる少女を何も言わずに見つめていると、片手に持っていたハンカチをそっと赤くなっている部分にあてた。

瞬間、ぴりっと走る痛みに思わず息をのめば少女は勢いよく顔をあげた。しまった、聞こえたか。と思いへらりと笑うと、少女は顔に罪悪感をありありと浮かべて再び俯いてしまった。ああ、そんなに気にしなくていいのに。


「ごめんなさい、ケガさせちゃって」

「そんなに痛くないし、気にしなくていいっすよ!それにこのくらいほっといても治るし…」

「ダメ、絶対後で保健室行って」

「え、」


まっすぐとオレの目を見つめて言う彼女に、ドキとどこかがなった気がした。


「小さいケガでもほっといたらダメ。ちゃんと治療しないと」


肯定以外の返答は受け付けない、といった表情の彼女に少々固まった後に苦笑を漏らし、わかったっす、と言った。オレの返答に安心したように頬を緩ます彼女の姿に、胸が高鳴った。


「あ、そうだ」


ふいっと彼女が視線を逸らし、どこかに行った後も、何かに憑りつかれたようにその場から動けず、先ほど見た彼女の笑顔がぐるぐると頭の中でループしている。どくんどくんと、いつも練習が終わった時ぐらいうるさい心臓に困惑していると、優しく語りかける彼女の声が耳に届いた。会話を聞いてみると、ぶつかってしまった女の子を宥めているようで、相手を安心させるように優しい笑顔浮かべている彼女にまた胸が高鳴った。

少しして、落ち着いてきた心臓の上に手を当てて深呼吸をした。いつまでもこんなところに座っていても仕方ないか、と思い立ち上がった。


「黄瀬くん、コレ」

「ああ、わざわざありがとうっス」


授業の準備とジャケットを持ってきてくれた女の子に笑顔でお礼を言って、ジャケットについている埃を払っていると、彼女に話しかけられた。


「庇ってくれて本当にありがとう。おかげで私は無傷だったけど…」


言いながらチラリとオレの左腕を見る彼女に笑顔で気にしなくていい旨を伝えると、まだ納得はいっていなさそうだったが、再三お礼を言って踵を返そうとした。そこで自分が持っているハンカチは彼女のものだったことを思い出し、声をかけた。


「あ、ハンカチ」

「あー、あげる。心もとないけど保健室行くまではそれで冷やしてて。いらなかったら捨ててもいいから」


そう言い残して足早に去っていく彼女の後姿を、呆然と眺めた。


「あ、名前……」


聞くの忘れたっス…。自分の失態に頭を抱えながらも、話かける口実ができた、と自分の右手の中にあるハンカチを見て頬を緩めた。




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