文章

□吊橋効果
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「クダリは吊橋効果を信じますか?」

事務室で慣れない事務処理をしているとき、隣で黙々と作業をしていたノボリがいきなりそんなことを言ってきた。

「ぼく、吊橋効果は知ってるけど、いきなりなに?」

上司に提出する書類を作成してる最中に吊橋効果だなんて単語が出てくるはずない。
いつも真面目に仕事してるノボリが業務中に話し掛けてきたってだけでも珍しいのに、さらに話の内容がそれって、ノボリにしては珍しくって何を考えてるか解んない。
「たしか、命の危険とか感じて心臓の鼓動が速くなったのを恋だと勘違いするっていう、あれだよね」

ちょっと得意げにいうと、ノボリは少し困ったみたいにこっちに視線だけ投げて、「やっぱり」とだけ呟いた。
どうしたんだろって思うけど、慣れてないせいで全然仕事進んでない。だからしょうがなく書面へ視線を戻す。
そういえば。

「でもあれって勘違いじゃなくて、本当に恋することもあるんだって」

思い出して呟くように言ったらすごい勢いでノボリがこっちを向いた。
しかもすごい形相で。
ちょっと、びっくりしたんだけど。

「なぜですか?」

帽子の鍔をかるく摘んでまるで取り繕ったように聞いてきた。
ノボリに何かを教えるなんてことは殆どないから、少し違和感ある。
なんでそんなに吊橋効果に興味があるかは解らないけど、こっちに向けられる視線が真剣で、むしろ真剣過ぎて少しだけ笑ってしまった。

「確か、命が危ないってなったら子孫を残さなきゃって脳が判断するんだ。だから脳がそういう信号出して恋に落ちやすい心理状況にするんだって」

告白するなら高いビルの屋上ですると受け入れられやすいんだとか。そんな豆知識を言った頃にはノボリは書類どころか完全に自分の足かその下の床を見つめていて、なんでそんなに落胆してるのかまったく解んなかった。
はああぁ。
そんな感じの、深い深いおよそ二十代の若者が付くような物じゃない溜息が聞こえてきて、ますます意味が解らなくなった。
まあ、若者っていっても同い年なんだけど。

「やっぱりマルチに私は乗るべきでなかった」
「え!?なんでこのタイミングで!?」

ノボリはガタッと大きな音を立てて乱暴に椅子から立ち上がると、事務室に備え付けてある来客用ソファの方へとよろよろ歩きだした。
普段すごく気を使うノボリだから、相当ダメージを受けてるみたい。

「えっ?ちょっと、ノボリ!?」

無視されることなんて今までなかったら、まったく理由が解らないまま言い逃げされるのは、こっちもどうしていいか解らない。
ソファに倒れ込むように深く座ると、ノボリが責めるように呟いた。

「私が悪いんです。私がマルチバトルで負けそうになってドキドキするから」
「…なんのこと?」
「私のポケモンの技が車両を壊したりトレーナーを傷付けないかつねに不安だから」

この話の流れからすると、たどり着く結論は一つだけだよね。
「ノボリ、誰かに恋してるの?」
「なっそんなわけ!」

一気に赤くなった顔がその何よりの証拠で、ぼくは一気に悲しくなってしまった。

「誰?挑戦者のこ?」
「だから違いますって!それにそうだとしてもクダリには言いません」

なんだよそれ。
ぼくはノボリのこと大好きなのに!
吊橋効果なんて信じない。
もしそうだとしてもそれは一瞬の気の迷いで効果が切れた時に辛い思いをするんだ。

「吊橋効果なんて、ちょっとした勘違いなんだよ。その人のこと忘れちゃいなよ」

諭すように言うけど、これはぼくの勝手な願望で身勝手なお願いだった。
ノボリは困ったみたいに口をへのじに曲げて、悲しそうに眉根をよせる。

「そんなこと出来ません。いつも一緒にいるんですから」
「いつも一緒!?もしかしてそれって…。ヒトモシ」
「違います」

電光石火並の速さで否定された。
いや、ポケモン相手じゃ無理でしょ!?
ほっとしたようなポケモンには負けたっていう複雑な心境だけど、誰かにノボリを取られちゃうよりはきっとよっぽどましだよね!
ノボリは呆れた顔でこっちを見た後、ソファの上で大きく伸びをした。
すっかり余裕を取り戻してしまったみたいでちょっと面白くない。
もう少しこの話でいじってやろうと、書類仕事なんて置いといてぼくもソファへと向かった。

「何を変なこと言っているんですか。そんなの貴方に決まって…」

言いかけてとんでもない事を言っているのに気付いたのか、ノボリは途中で口を閉ざしてしまった。
だけどぼくはもうきいちゃったからそんなの関係無いんだけど。

「…今、ぼくって言ったよね」
「言ってません!」

ノボリの赤い顔が少し焦ったようにはにかむのを見てぼくは思わずノボリに抱き着いてしまった。
腕の中でノボリはびっくりしたせいか固くなって動かない。
それをいいことにギュッと抱く腕の力を強めた。

「吊橋効果の効果、切れないようにぼく、頑張るね」
「な、何を言って!?」

上擦った声を聞いてぼくは声を上げて笑ってしまった。
効果なんて信じないけど、それでノボリがぼくを好きだって思ってくれるなら、今だけそれを利用するよ。
ノボリの事、マルチに乗る前からぼくはずっと好きだったんだよ。

吊橋効果の錯覚が確信に変わるまで、そのことぼくはノボリに教えてあげない。
きっと近い内だと思うけど、その時は快速電車が通過するホームで告白するね。


END



快速電車が通る時って危ないよねってはなし。





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